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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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24日は、帝塚山大学と古都飛鳥保存財団の連携イベントに参加。
午前中に「有間皇子と飛鳥」と題する清水昭博先生のご講演。昼からは、関連史跡をめぐるウォーキングでした。

1:有間皇子について
2:有間皇子の変
3:有間皇子と飛鳥
4:有間皇子と市経家

という順にお話が進みました。
清水先生が、帝塚山大「シンポジウム 有間皇子を考える」で発表された内容を知っていたのだけど、今回、改めて聞くことが出来、楽しい講演でした♪ 
実は、有間皇子って「有間皇子の変」以外では、全く知らないというか、書紀には出てこないですよね。(^^ゞ いつ生まれて、何処で育って、どのようなことをしていたのかは、σ(^^)は特別に興味を持たなかったので知りませんでした。

清水先生は、有間皇子の邸宅が軽の地にあったのではないかと考えておられます。軽の市の付近、つまり丈六遺跡付近ということになります。風人は、非常に説得力のある説だと思っています。生駒壱分説は、あまりに遠い! 地名こじつけ説は、納得できない所が多いです。高取市尾説なんかも、距離的には良いと思いますが、頷けるものは少ないように思います。

有間皇子邸は、丈六付近、というか、「串之家さわ」付近ということで良いのではないかと思いました♪ (笑)

しかし、ちと天邪鬼な風人がむずむずと。(笑)
山田道を東に行っても面白いなって。(^^ゞ そこにあるのは「阿部」「海石榴市」♪ 有間のお母さんは、阿部の小足媛。「市経」を市の周辺と解釈する清水説をとっても「海石榴市でも同じ解釈で良いのか?ともとも。
σ(^^)は、飛鳥時代頃の海石榴市は、横大路と上ツ道の交差する辺りではないかと思っているので、粟殿辺りまでの間に「有間皇子邸」が在ったのではと思ってみるのも面白い。父をとるか母を取るか。(笑)

清水先生のは考証♪ 風人のは嫌がらせ的妄想。(爆)
けど、そんなことを考えていると楽しい♪ 


で、昼からのウォーキングは、前半は23日の両槻会コースと重複する所が出てくる。どのように先生が説明されるか楽しみにしていた。すっきり分かりやすく、とっつきやすく説明される。流石である♪ 元々の知識量が違うから、風人説明とは信頼度って事では大きな差が出るのは致し方がない。(-_-;) 
両槻会は、もっとマニアック路線を行ってしまうので、両方に参加した人たちには面白かったかも知れませんが。

結局、最終ゴール地点まで参加できて、橿原神宮前東口で解散。両槻会のスタッフ・サポートスタッフは、飛鳥資料館へと取って返したのでした。夜は、光の回廊ボランティアです♪ 

夕食は、再び有間皇子邸に夜襲をかけて、美味しい串揚げに舌鼓を打ったのでありました♪ で、またまたまた資料館に戻って撤収作業を。この数日で、何度山田道を行き来したことでしょう!(笑)


幻想的で良いでしょ♪

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1443
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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