先日来書いてきました檜前遺跡の建物群に関するニュースが出てきました♪
まだ、出始めたばかりですので、情報は少ないです。(^^ゞ
時代は、飛鳥時代後半から奈良時代前半とみられる5棟の掘立柱建物跡だということです。3時期に分けられ、数回建て替えられているようです。
素人には、柱穴の重なり合いは分からんな~・・。(^^ゞ
時期的には、とても面白い時期になるのかなって思います。
すぐ北側の尾根にある檜隈寺を本格的に整備?創建?した時代なんだろうと思うのです。
そうしたら、この住居跡は、それと関係の無い物とも思えないわけで、造営とかに関連した人達が住んでいたのかなって思ってしまうのですが、妄想が過ぎるでしょうか?(笑)
飛鳥時代の後半というと、蘇我本宗家が滅びた乙巳の変の後であり、天武天皇による叱責などがあった時期になります。東漢氏にとっては存亡の危機にあったわけです。寺院の建立は、一族の再結成のシンボルであったのかなとか思います。
定例会で行った講演会でも、市先生が飛鳥池工房への東漢氏の再編成が行われた可能性をお話されました。東漢氏は、このような事柄に、自分達の再生をかけていたのかも知れませんね。
最も大きな建物は、南北3.6メートル、東西10.5メートルの床張りで、他にもひさし付きや間仕切りをした建物もあったそうです。総柱か?って思ったのは、床束だったのね。
大壁建物やオンドルは出なかったみたいですね。住居の一部だからかな?
今、発掘現場に立てば、小さな尾根の上にあり、見晴らしのある住み良さそうな場所になっています。小さな谷の向こうには、檜隈寺跡於美阿志神社の森が見えます。先日は、彼岸花が見事に咲いていました♪
もう一回ちゃんと見なくてはね♪ 見学会行きま~すっ♪
現地見学会は27日午前10時から午後3時まで。
まだ、出始めたばかりですので、情報は少ないです。(^^ゞ
時代は、飛鳥時代後半から奈良時代前半とみられる5棟の掘立柱建物跡だということです。3時期に分けられ、数回建て替えられているようです。
素人には、柱穴の重なり合いは分からんな~・・。(^^ゞ
時期的には、とても面白い時期になるのかなって思います。
すぐ北側の尾根にある檜隈寺を本格的に整備?創建?した時代なんだろうと思うのです。
そうしたら、この住居跡は、それと関係の無い物とも思えないわけで、造営とかに関連した人達が住んでいたのかなって思ってしまうのですが、妄想が過ぎるでしょうか?(笑)
飛鳥時代の後半というと、蘇我本宗家が滅びた乙巳の変の後であり、天武天皇による叱責などがあった時期になります。東漢氏にとっては存亡の危機にあったわけです。寺院の建立は、一族の再結成のシンボルであったのかなとか思います。
定例会で行った講演会でも、市先生が飛鳥池工房への東漢氏の再編成が行われた可能性をお話されました。東漢氏は、このような事柄に、自分達の再生をかけていたのかも知れませんね。
最も大きな建物は、南北3.6メートル、東西10.5メートルの床張りで、他にもひさし付きや間仕切りをした建物もあったそうです。総柱か?って思ったのは、床束だったのね。
大壁建物やオンドルは出なかったみたいですね。住居の一部だからかな?
今、発掘現場に立てば、小さな尾根の上にあり、見晴らしのある住み良さそうな場所になっています。小さな谷の向こうには、檜隈寺跡於美阿志神社の森が見えます。先日は、彼岸花が見事に咲いていました♪
もう一回ちゃんと見なくてはね♪ 見学会行きま~すっ♪
現地見学会は27日午前10時から午後3時まで。
やっと内容が分かってきました♪
ずいぶん余計な情報が流れていたのですが・・・(笑)
藤原宮大極殿の南側(朝堂院朝廷)で、宮を造営する際に使われる資材等を運搬するためのに掘られたとと考えられる運河の跡が、また見つかったようです♪
今回の調査区からは、予想どおりの石が敷き詰められた広場があり、その下から南北に通る幅3.5mから4m、深さ約2mの溝の跡が見つかったようです。
溝は宮の中心部の施設が作られる前に埋められていて、これまでに同じような規模の溝が4ヶ所、直線上に見つかっていることなどから、資材運搬用の運河であったと考えられたようです。その長さは今回を含めると500メートル以上あったと推定されています。
また、運河から枝分かれするような形で斜めに通る溝の跡も見つかり、運河の水の量を調節していた可能性があるとのことですが、大規模な運河網があった可能性も高くなったようです。運河跡からは材木などを運んだとみられる牛や馬の骨も出土しています。
万葉集歌でも知られる藤原宮造営の様子が、考古学によってより鮮明なイメージとして復元されてきましたね♪
現説は、9月27日(土) 午後1時30分から1回。
当日は、檜隈の遺跡でも見学会があるので、古代史ファンは頑張りましょう。(笑)
その檜隈ですが、23日に訪ねてきました。
檜隈寺跡の乗る尾根から一つ南の尾根の上にあります。
アマチュアなので、穴ぼこだらけの現場はよく分からないのですが、異常に柱跡らしきものが並んでいました。総柱の建物か?と思える部分もありましたが、建物群というより、回廊とか何重もの塀のようにすら見えていました。
見学会では、資料も準備されるでしょうから、しっかり見直しです♪
ずいぶん余計な情報が流れていたのですが・・・(笑)
藤原宮大極殿の南側(朝堂院朝廷)で、宮を造営する際に使われる資材等を運搬するためのに掘られたとと考えられる運河の跡が、また見つかったようです♪
今回の調査区からは、予想どおりの石が敷き詰められた広場があり、その下から南北に通る幅3.5mから4m、深さ約2mの溝の跡が見つかったようです。
溝は宮の中心部の施設が作られる前に埋められていて、これまでに同じような規模の溝が4ヶ所、直線上に見つかっていることなどから、資材運搬用の運河であったと考えられたようです。その長さは今回を含めると500メートル以上あったと推定されています。
また、運河から枝分かれするような形で斜めに通る溝の跡も見つかり、運河の水の量を調節していた可能性があるとのことですが、大規模な運河網があった可能性も高くなったようです。運河跡からは材木などを運んだとみられる牛や馬の骨も出土しています。
万葉集歌でも知られる藤原宮造営の様子が、考古学によってより鮮明なイメージとして復元されてきましたね♪
現説は、9月27日(土) 午後1時30分から1回。
当日は、檜隈の遺跡でも見学会があるので、古代史ファンは頑張りましょう。(笑)
その檜隈ですが、23日に訪ねてきました。
檜隈寺跡の乗る尾根から一つ南の尾根の上にあります。
アマチュアなので、穴ぼこだらけの現場はよく分からないのですが、異常に柱跡らしきものが並んでいました。総柱の建物か?と思える部分もありましたが、建物群というより、回廊とか何重もの塀のようにすら見えていました。
見学会では、資料も準備されるでしょうから、しっかり見直しです♪
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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