2月初めからの疲れが体調不良を引き起こしています。無理しすぎてます。(>_<)
暫らくゆっくりしますので、風の書週末まで休みます。ごめんなさい。m(_ _)m
国営飛鳥歴史公園のHPアドレスが変わりました。 サイトもリニューアルされています。
http://www.asuka-park.go.jp/index.html
飛鳥情報リンク集のリンク変更もしています♪
明日香村サイトの「明日香を探る」が更新されていて、「飛鳥探訪(10) -檜隈安古陵-」 文武天皇陵に治定されている塚穴古墳に関してですけど、σ(^^)知らないこともあって面白かったのでご紹介。
おやすみなさい。 m(_ _)m
暫らくゆっくりしますので、風の書週末まで休みます。ごめんなさい。m(_ _)m
国営飛鳥歴史公園のHPアドレスが変わりました。 サイトもリニューアルされています。
http://www.asuka-park.go.jp/index.html
飛鳥情報リンク集のリンク変更もしています♪
明日香村サイトの「明日香を探る」が更新されていて、「飛鳥探訪(10) -檜隈安古陵-」 文武天皇陵に治定されている塚穴古墳に関してですけど、σ(^^)知らないこともあって面白かったのでご紹介。
おやすみなさい。 m(_ _)m
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いよいよ高松塚古墳で石室解体作業がスタートしましたね。
出来ることなら、こんなことにはなって欲しくなかった。
けど始まってしまったのなら、もう成功を祈る他は無い。
どうぞ無事に作業が終わりますように。
7月頃に完了するようですが、関係者の皆さん、大変でしょうけど頑張ってください♪
まっこと忙しそうなので、しばらく他の仕事を増やさないようにします。m(_ _)m
せっかく古墳を解体して、石室まで解体しちゃうんですから、
その過程で分かった古墳築造の技術などを、しっかり公表して教えてください。
高松塚って壁画だけの存在じゃないはず。
今の作業に、なんか引っ掛かりを覚えるのは、そこんとこなんですよね。
非常~に複雑な心境。
昼食後のうだうだでした。(^^)
出来ることなら、こんなことにはなって欲しくなかった。
けど始まってしまったのなら、もう成功を祈る他は無い。
どうぞ無事に作業が終わりますように。
7月頃に完了するようですが、関係者の皆さん、大変でしょうけど頑張ってください♪
まっこと忙しそうなので、しばらく他の仕事を増やさないようにします。m(_ _)m
せっかく古墳を解体して、石室まで解体しちゃうんですから、
その過程で分かった古墳築造の技術などを、しっかり公表して教えてください。
高松塚って壁画だけの存在じゃないはず。
今の作業に、なんか引っ掛かりを覚えるのは、そこんとこなんですよね。
非常~に複雑な心境。
昼食後のうだうだでした。(^^)
両槻会第一回定例会を終えて。
楽しかった~♪ って思いました。 終わってホッとしたってのも事実ですけどね。
やはりスタートは、最高の会にしたいと思っていましたから。
σ(^^)がしたかったことは、こんなことなんだろうなって思いました。
組織や権威におもねることなく、与えられたものではなくて、何の力も持たないσ(^^)達が集まってコツコツと何かを成遂げる。それも大好きな飛鳥で。 土曜日、それが実現しました。
講師の滝川先生をお願いしたのも、実は計画的です。先生、m(_ _)m
飛鳥をテーマにするなら、考古学者や学芸員さんをお願いするってこともありえたのです。その方が普通ですよね。
でも、両槻会の主旨やσ(^^)を良く知っていただいて、その思いをちゃんと受け止めてくださる先生にお願いしたかったのです。 おざなりな講演なら、わざわざ両槻会として講演をしていただく意味など無いのですから。
滝川先生には、ご迷惑を掛けましたが、σ(^^)の予想を遥かに超える見事な講演をしていただけました。
全く飛鳥と係わりのないような菅原道真と言う人物を見事にテーマに沿わせてくださいました。難しい話をユーモアたっぷりに、聞く者を引きつけて90分と言う時間を短く感じさせるような講演をしていただけました。 両槻会サイトのアンケート結果をご覧下されば、それは一目瞭然です。
普段は冗談ぽく言ってますが、最初から滝川先生にお願いすることは決めていたのです。先生がいらっしゃるからこそ、両槻会を立ち上げる決意をしたといって良いのです。 見事にそれに応えてくださいました。 良き友を持ったことを一番の喜びに感じています。
σ(^^)の両槻会での最大の仕事は終わったように思います。
これからは、この良い第一回目の余韻を消すことなく、事務局員の一人として会を運営して行ければと思っています。
そこで、特に風の書や飛鳥三昧から両槻会を知られた皆さんに、お願いします。
今まで、両槻会=風人の会というイメージを強く持たれていたと思います。
実際に具体的に表面に出て動いていましたし、成功させたいと言う一心で風の書や個人の名前を使っていた面もありましたので、σ(^^)自身が皆さんに誤解を生むことをしていたのだと思います。m(_ _)m ごめんなさい。
会へのメールにも、私個人に対する内容が含まれているものもたくさんありました。
両槻会サイトにありますアドレスは、σ(^^)個人のアドレスではありませんので、
その点、今後は完全に切り替えてお考えいただくようにお願い申します。
事務局員全員が共用して管理していますアドレスになります。
また、両槻会ブログ記事やレスも同じように、むしろσ(^^)が書いているとこは少ないのが現状です。事務局員が事務局を代表してお返事しますので、その点よくご理解くださいますように。m(_ _)m
今後、両槻会の風人は、会のスタッフに徹しますので、両槻会関連の記事は、
多少の紹介記事以外は、風の書には掲載いたしません。 ご了承下さい。
両槻会が、本来の飛鳥好きの集まりの会であるためにも、風人個人の色は極力消して行きたいと思っています。
両槻会は、ご覧下さる皆さんの一人ひとりが会員だと思っています。
σ(^^)達事務局員は、会員である皆さんが参加していただける企画を作り、
その会の進行をサポートするだけの存在です。
参加されます皆さんは、その点をご理解いただきまして、会のスムーズな運営に一層のご協力をいただきたいと思っております。
これからも、第一回定例会に劣らぬ企画を作って行きますので、どうぞよろしくお願いいたします。気軽に楽しめて、ほんのちょっと知的好奇心を満足させられるような会に出来たらと思いますので、皆さんのご協力を得られますことを願っています。
皆さんのご協力をお願いしたついでと言ってはいけませんが、お聞き下さい。
皆さんが思われるより、申し込み受付などは非常に煩雑な作業となります。
どうかページをよくお読みの上で、お願いいたします。m(_ _)m
それと、σ(^^)達両槻会は、ネットを使っての活動をしています。
連絡もすべてネットを使って行います。ですから、申し込まれたらメールや両槻会サイト・ブログを常にご覧になっていただきたいのです。m(_ _)m
第一回のように、予定を変更する場合もあります。 極力努力しますが、ネットを通じる以外に連絡の方法がありません。その点、どうぞよろしくお願いします。
また、参加者の皆さんの予定変更も、必ずご連絡いただきたいのです。 よろしくご理解下さい。m(_ _)m
両槻会が着実に育ってゆくことが、σ(^^)の願いです。
楽しかった~♪ って思いました。 終わってホッとしたってのも事実ですけどね。
やはりスタートは、最高の会にしたいと思っていましたから。
σ(^^)がしたかったことは、こんなことなんだろうなって思いました。
組織や権威におもねることなく、与えられたものではなくて、何の力も持たないσ(^^)達が集まってコツコツと何かを成遂げる。それも大好きな飛鳥で。 土曜日、それが実現しました。
講師の滝川先生をお願いしたのも、実は計画的です。先生、m(_ _)m
飛鳥をテーマにするなら、考古学者や学芸員さんをお願いするってこともありえたのです。その方が普通ですよね。
でも、両槻会の主旨やσ(^^)を良く知っていただいて、その思いをちゃんと受け止めてくださる先生にお願いしたかったのです。 おざなりな講演なら、わざわざ両槻会として講演をしていただく意味など無いのですから。
滝川先生には、ご迷惑を掛けましたが、σ(^^)の予想を遥かに超える見事な講演をしていただけました。
全く飛鳥と係わりのないような菅原道真と言う人物を見事にテーマに沿わせてくださいました。難しい話をユーモアたっぷりに、聞く者を引きつけて90分と言う時間を短く感じさせるような講演をしていただけました。 両槻会サイトのアンケート結果をご覧下されば、それは一目瞭然です。
普段は冗談ぽく言ってますが、最初から滝川先生にお願いすることは決めていたのです。先生がいらっしゃるからこそ、両槻会を立ち上げる決意をしたといって良いのです。 見事にそれに応えてくださいました。 良き友を持ったことを一番の喜びに感じています。
σ(^^)の両槻会での最大の仕事は終わったように思います。
これからは、この良い第一回目の余韻を消すことなく、事務局員の一人として会を運営して行ければと思っています。
そこで、特に風の書や飛鳥三昧から両槻会を知られた皆さんに、お願いします。
今まで、両槻会=風人の会というイメージを強く持たれていたと思います。
実際に具体的に表面に出て動いていましたし、成功させたいと言う一心で風の書や個人の名前を使っていた面もありましたので、σ(^^)自身が皆さんに誤解を生むことをしていたのだと思います。m(_ _)m ごめんなさい。
会へのメールにも、私個人に対する内容が含まれているものもたくさんありました。
両槻会サイトにありますアドレスは、σ(^^)個人のアドレスではありませんので、
その点、今後は完全に切り替えてお考えいただくようにお願い申します。
事務局員全員が共用して管理していますアドレスになります。
また、両槻会ブログ記事やレスも同じように、むしろσ(^^)が書いているとこは少ないのが現状です。事務局員が事務局を代表してお返事しますので、その点よくご理解くださいますように。m(_ _)m
今後、両槻会の風人は、会のスタッフに徹しますので、両槻会関連の記事は、
多少の紹介記事以外は、風の書には掲載いたしません。 ご了承下さい。
両槻会が、本来の飛鳥好きの集まりの会であるためにも、風人個人の色は極力消して行きたいと思っています。
両槻会は、ご覧下さる皆さんの一人ひとりが会員だと思っています。
σ(^^)達事務局員は、会員である皆さんが参加していただける企画を作り、
その会の進行をサポートするだけの存在です。
参加されます皆さんは、その点をご理解いただきまして、会のスムーズな運営に一層のご協力をいただきたいと思っております。
これからも、第一回定例会に劣らぬ企画を作って行きますので、どうぞよろしくお願いいたします。気軽に楽しめて、ほんのちょっと知的好奇心を満足させられるような会に出来たらと思いますので、皆さんのご協力を得られますことを願っています。
皆さんのご協力をお願いしたついでと言ってはいけませんが、お聞き下さい。
皆さんが思われるより、申し込み受付などは非常に煩雑な作業となります。
どうかページをよくお読みの上で、お願いいたします。m(_ _)m
それと、σ(^^)達両槻会は、ネットを使っての活動をしています。
連絡もすべてネットを使って行います。ですから、申し込まれたらメールや両槻会サイト・ブログを常にご覧になっていただきたいのです。m(_ _)m
第一回のように、予定を変更する場合もあります。 極力努力しますが、ネットを通じる以外に連絡の方法がありません。その点、どうぞよろしくお願いします。
また、参加者の皆さんの予定変更も、必ずご連絡いただきたいのです。 よろしくご理解下さい。m(_ _)m
両槻会が着実に育ってゆくことが、σ(^^)の願いです。
説明会自体には参加できなかったので、不明な点を残したままになりました。(^^ゞ
まっ、それは追々勉強するとして、今回見た感想と言う程度で書き残しておこうと思います。
はっきり言って、今回の遺構は分かりにくかったです。
ごちゃごちゃってしてる印象で、頭の中の整理が出来なかった。(^^ゞ
午前中に行った時に撮った写真だけど、この山田道と雷丘の位置関係がどうもピンと来なかった。
![070331w067s.jpg](/Img/1175479455/)
道路と雷の切通がずれている。写真を写している所は道路の中央ではないから、
実際にはもっと北側のはず。そうすると、雷の丘の城山の中心に近くなるわけで、山田道をなぜ北側に迂回させずに、切通をわざわざ開削したのかが、気持ち良く納得出来ないのです。工事としては、絶対その方が楽なはず。何か特別な理由があるのかな? 最近出来た県道は、新たに北側を回りこませている。
と言うことは、
そんな気がして仕方が無い。
今回の遺跡の土地利用を示す全5期の様子を見ていても、道路の北側を使いやすくするための排水工事の側面もあるんじゃないのかって思ったりしました。西を流れる飛鳥川に南や東側を流れる水を落とすためのようにも見えた。もちろん今回出ていた溝は、天武期から藤原京期のものだけど。3期の東西溝2なんてのがこれに当たるのかな?
宮のすぐ裏側を通る幹線道路ってのが、σ(^^)には上手くイメージ出来ない!
説明を聞けていれば分かったのかも知れないのですけど、パンフレットには載っていなかった杭列がありました。
遺構の北西隅に近いところです。道路遺構の下を調査されていて、その北端の辺りでした。
図面にも載っていなくて、質問するのも忘れてしまったので、今更気がかりになってきました。(^^ゞ
Ⅰ期の杭列の関連なんでしょうかね?
堰状施設ってのも良く分かりませんでした。堰って分水したり、流路を変えるときに使いますよね。 隣にある斜行溝と関係するんでしょうけど・・・・・。 これも図面にないんですね。どのように他の遺構と関連するんでしょうか。
18次調査の杭列とかももう一度、資料を繰ってみないと分からんです。(^^ゞ
![070331w073s.jpg](/Img/1175491350/)
前回の調査から引き続いていると言うと、このⅤ期にあたる礫集中部というのもどういうものなのか、分かったようで分からない存在です。
土地を補強するために入れているのでしょうけど、それは上に建物を建てるためじゃなかったら、どんな意味があるのだろう?
建物は検出されていないのですよね。。。
何のための石なのだろう?
発掘したからって、全部が分かるわけじゃないんだろうけど、もっといろんなことが分かると良いな。(^^)
なんか全体を上手く把握できませんでした。(>_<)
誰か上手にこの辺の再現図とかジオラマ作ってくれないかな~。。。(^^ゞ
やっぱ現説聞きたかったな~。。。。
で、竹田遺跡。
毎度書いているので、読んでくれる人も書いている方も嫌なんですけど。m(_ _)m
資料に間違いがあります。重箱の隅ですけど、どうも気になるんですよね。
「竹田遺跡は飛鳥寺の北面大垣から東に約20mの距離」にはありません。
こちらは、前回も飛鳥寺からの距離を間違えて書いてはりました。
発掘調査報告会の資料もでした。
知ってる人間や見学会に参加した人は感覚的に距離が分かりますけど、
知らないで資料だけ見たらねって気がします。
毎回なので、あぁ~あっって思ってしまいました。資料の信憑性が下るんですよね。(^^ゞ
すいません! 間違いばかり書いてるσ(^^)です。m(_ _)m
きっと嫌な奴に思えるだろうな・・・σ(^^)。
約200mです。 単純なミスですよね。
![070331w128s.jpg](/Img/1175486875/)
黄色くマーキングされた柱穴が、飛鳥時代後期の物だそうです。
調査区の端っこで掛かったので、建物の全体像は確定出来ないみたいですけど、
そんなに大きな建物ではないようですね。 一棟は、塀かも知れないということです。
赤のマーキングがされた柱穴は、それ以降の平安から中世にかけてのもののようです。
大型の建物跡が見つかるのを期待していたんですけど、今回は期待はずれでした。
けど、建物遺構が続いているわけですから、主要な建物がきっと近くにあるんでしょうね。
この丘陵のピークに近いところじゃないのかな?って思うのですけど、
いずれの楽しみとしましょう♪
講演会後の慌ただしい見学となり、定例会を無事に終えた気の緩みで、
しっかり遺構を見なかったのが残念です。もうちょっとちゃんと勉強しようね!σ(^^)
早朝書いた記事を、移動中とかを利用して携帯チェック後に投稿しています。
変な時間に投稿しますけど、決して遊んでいるわけではないです。
こうしないと、記事を書く時間を見出せないのです。(>_<) 念のために。
まっ、それは追々勉強するとして、今回見た感想と言う程度で書き残しておこうと思います。
はっきり言って、今回の遺構は分かりにくかったです。
ごちゃごちゃってしてる印象で、頭の中の整理が出来なかった。(^^ゞ
午前中に行った時に撮った写真だけど、この山田道と雷丘の位置関係がどうもピンと来なかった。
道路と雷の切通がずれている。写真を写している所は道路の中央ではないから、
実際にはもっと北側のはず。そうすると、雷の丘の城山の中心に近くなるわけで、山田道をなぜ北側に迂回させずに、切通をわざわざ開削したのかが、気持ち良く納得出来ないのです。工事としては、絶対その方が楽なはず。何か特別な理由があるのかな? 最近出来た県道は、新たに北側を回りこませている。
と言うことは、
- 北側に避けなければならない建築物が在った?
- 切通はもっと以前からあり、狭い道路が通っていて、拡幅するだけで簡単に広い道路を作れた?
- 雷に切通を作った時の山田道は、発見されなかったけど今回よりも南にあった。
- ここを通す理由があった?
- 小墾田宮が東方遺跡とかこの辺にあったとすると、宮とかの建物は、南に開いているはずだから山田道は使いにくくないのか? 山田道から宮の南に入る道が必要なはず。
- すぐ近くに氾濫川として知られている飛鳥川が流れていたわけで、東には、今回のような沼沢地が広がっている。 雷東方遺跡付近は、使いにくい土地だったんじゃないのか?
そんな気がして仕方が無い。
今回の遺跡の土地利用を示す全5期の様子を見ていても、道路の北側を使いやすくするための排水工事の側面もあるんじゃないのかって思ったりしました。西を流れる飛鳥川に南や東側を流れる水を落とすためのようにも見えた。もちろん今回出ていた溝は、天武期から藤原京期のものだけど。3期の東西溝2なんてのがこれに当たるのかな?
宮のすぐ裏側を通る幹線道路ってのが、σ(^^)には上手くイメージ出来ない!
遺構の北西隅に近いところです。道路遺構の下を調査されていて、その北端の辺りでした。
図面にも載っていなくて、質問するのも忘れてしまったので、今更気がかりになってきました。(^^ゞ
Ⅰ期の杭列の関連なんでしょうかね?
堰状施設ってのも良く分かりませんでした。堰って分水したり、流路を変えるときに使いますよね。 隣にある斜行溝と関係するんでしょうけど・・・・・。 これも図面にないんですね。どのように他の遺構と関連するんでしょうか。
18次調査の杭列とかももう一度、資料を繰ってみないと分からんです。(^^ゞ
前回の調査から引き続いていると言うと、このⅤ期にあたる礫集中部というのもどういうものなのか、分かったようで分からない存在です。
土地を補強するために入れているのでしょうけど、それは上に建物を建てるためじゃなかったら、どんな意味があるのだろう?
建物は検出されていないのですよね。。。
何のための石なのだろう?
発掘したからって、全部が分かるわけじゃないんだろうけど、もっといろんなことが分かると良いな。(^^)
なんか全体を上手く把握できませんでした。(>_<)
誰か上手にこの辺の再現図とかジオラマ作ってくれないかな~。。。(^^ゞ
やっぱ現説聞きたかったな~。。。。
で、竹田遺跡。
毎度書いているので、読んでくれる人も書いている方も嫌なんですけど。m(_ _)m
資料に間違いがあります。重箱の隅ですけど、どうも気になるんですよね。
「竹田遺跡は飛鳥寺の北面大垣から東に約20mの距離」にはありません。
こちらは、前回も飛鳥寺からの距離を間違えて書いてはりました。
発掘調査報告会の資料もでした。
知ってる人間や見学会に参加した人は感覚的に距離が分かりますけど、
知らないで資料だけ見たらねって気がします。
毎回なので、あぁ~あっって思ってしまいました。資料の信憑性が下るんですよね。(^^ゞ
すいません! 間違いばかり書いてるσ(^^)です。m(_ _)m
きっと嫌な奴に思えるだろうな・・・σ(^^)。
約200mです。 単純なミスですよね。
黄色くマーキングされた柱穴が、飛鳥時代後期の物だそうです。
調査区の端っこで掛かったので、建物の全体像は確定出来ないみたいですけど、
そんなに大きな建物ではないようですね。 一棟は、塀かも知れないということです。
赤のマーキングがされた柱穴は、それ以降の平安から中世にかけてのもののようです。
大型の建物跡が見つかるのを期待していたんですけど、今回は期待はずれでした。
けど、建物遺構が続いているわけですから、主要な建物がきっと近くにあるんでしょうね。
この丘陵のピークに近いところじゃないのかな?って思うのですけど、
いずれの楽しみとしましょう♪
講演会後の慌ただしい見学となり、定例会を無事に終えた気の緩みで、
しっかり遺構を見なかったのが残念です。もうちょっとちゃんと勉強しようね!σ(^^)
早朝書いた記事を、移動中とかを利用して携帯チェック後に投稿しています。
変な時間に投稿しますけど、決して遊んでいるわけではないです。
こうしないと、記事を書く時間を見出せないのです。(>_<) 念のために。
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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