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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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飛鳥をより楽しむための隔月の定例会を、
両槻会(ふたつきかい)と命名することになりました。

会長に河内太古さん、事務局長に風人が就任して、会を発足いたしました。
皆さん、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

原則として、奇数月の第2土曜日を会の日とします。

第一回目は、奈良大学文学部の滝川幸司先生をお招きして、
仮題「菅原道真と飛鳥・奈良」をテーマとしてお話いただきます。

日時    : 3月31日
集合場所 : 飛鳥庵
集合時間 : 12時半
その後、揃って講演会場へ移動します。
講演会場は、橘寺往生院を使用させていただく予定です。

二回目以降はまだ未定ですが、
橘寺ご住職、飛鳥資料館学芸員さん、村教委の先生方のご協力を予定しています。
また、ウォーキングイベントや案山子祭りへの参加なども検討しています。

両槻会の予定などは、両槻会ブログをご覧下さい。


両槻会会長河内太古さんのブログ記事です♪



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今日会えた皆さんありがとうこざいました♪
とっても楽しめた一日でした♪
個人的にも最終まで楽しめました。飛鳥が好きってだけでこんだけ楽しめるんですね♪ 改めてそれを知りました。
酔っ払いの皆さんが無事に帰ることを祈りつつ、おやすみなさい♪

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おはようございます♪
飛鳥は、冷え込んでいます。さっむいです。(>_<)
でも、良いお天気ですから、これから気温も上がってくるでしょう♪

飛鳥庵集会に参加の皆さん、本日はよろしくお願いいたします♪
発起人ですが、全く参加者の人数すら把握していません。
誰も来なかったらどうしよう・・・。(T.T) 
飛鳥庵に入りきらないとどうしよう・・・。(^^ゞ  ちょっと嬉しいけど。(笑)

仮称定例会専用ブログを作りました。 まだオープンしていませんが。
定例会のことは、明日以降こちらで書いて行きます。 よろしくお願いします。
http://asuka33.blog.shinobi.jp/


昨日は、歴史好きをくすぐるテレビ番組が重なってあったようですね。
リアルタイムでは、ほんの10分程度しか見れませんでした。(T.T)
点けたら、相原先生が喋ってはって、なんか嬉しかった。(笑)

飛鳥防衛構想の話は、面白かったですけど・・。
特に新鮮な説でもなかったように思います。
NHK大層な宣伝してましたけどね。(^^ゞ

八釣マキトの柱列の話は、サイトでも何度も書いていましたが、
CG化されるとふーんって見られますね。(^^ゞ
けど、あの位置って微妙かも。。。って思ったのですけど。
今日、聞いてみようかな・・。

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飛鳥庵集会
2月3日午後12時より。

飛鳥好きの方は、どなたでもお気軽に参集下さい♪

今まで以上に飛鳥を楽しむための隔月定例会を作ることにしました。
今回は、その設立準備会として行います。
飛鳥好きの方たちと、より飛鳥を楽しむのが目的ですので、
参加資格は飛鳥が好きということだけです。
初めての方もどうぞ♪

詳細はこちら♪

今回は、参加申し込みも必要ありません。
飛鳥をより楽しもうと思われる方は、遠慮なく参加してください♪

飛鳥庵の所在地は、飛鳥寺と入鹿の首塚の間にあります。
当日は、集合時間少し前から開店しますので来ていただくと分かります。
必要な方は、昼食をご持参下さい。

2時前からは、自由参加で飛鳥資料館で行われる講演会に参加します。
「発掘された蘇我氏の飛鳥」と言うタイトルで、相原先生の講演です。
甘樫丘東麓遺跡の発掘成果が報道されたばかりです、
タイムリーな講演会ですから、こちらも是非よろしくお願いします♪


追記
明日は、お天気も回復しそうです♪
皆さんが、心配されていました飛鳥庵のおばちゃんと、先ほど電話で話しました。
かなり回復していました♪ 声に張りが出てきて元気そうな声でした♪
明日のお茶やコーヒーの準備もしてくれるとの事でした♪
ご安心くださいとのことです。(^^)

で、今日も甘樫丘東麓遺跡は、たくさんの方が来られていたそうです。
平日に動ける人が羨ましい。。。。(^^ゞ

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甘樫丘東麓遺跡発掘調査の成果が報道され始めました♪

気になる蘇我入鹿邸(谷の宮門)である可能性は、ますます高くなるようですが、
なお中心建物は出土していない模様です。

今回は、石垣や掘立て柱建物跡や塀跡が検出されたようです。 
7世紀前半(近くの泥土から640年代の土器が出土)に大規模な石垣を築いて,
敷地を整えたと思われます。
より要塞的な建物であったのかも知れませんし、
基礎をしっかりさせる必要のある倉庫や兵庫なども考えられるかも知れません。
また、建物をより立派に見せる手段であったのかも知れません。

石垣は、南北15メートルにわたり、
最大50センチの花崗岩を6~7段に積み重ねているようです。
高さは最高1メートル。1段積むごとに土を埋めた丁寧な造りだということです。
谷筋のほぼ中央に石垣が築かれ、その東側が敷地として一段高く造成されていた模様です。 

検出された主な掘っ立柱建物跡は、縦8メートル・横3.8メートル程度の規模のようですが、全体で、2期に分けられる建物跡が、7棟分新たに見つかったようです。

1期は600~650年代で、河原石を積んだ石垣とその東側を埋め立てて平らにした整地跡で、建物跡1棟と塀が含まれるようです。

2期は、石垣を埋め、改めて整地されたとみられ、640~680年代。
中小規模の建物が数回建て直された6棟分と石敷き跡がその時期になるようです。

日本書紀の記述などと比べると、
石垣が入鹿の邸宅の関連施設、建物跡は乙巳の変後の中大兄皇子らが関係しているのかも知れません。


まだ、詳細は分かりません。 続報を待ちたいと思います♪

発掘現地説明会は、11日午後1時から4時まで。

この日には、もう一つあるかも知れません♪ (^^)

aaf4215a.jpeg
            06年12月23日撮影

橿考研サイトで、先日の東中谷遺跡の現説資料が公開されています。
行かれなかった人、また資料入手できなかった人はどうぞ。
東中谷遺跡現地説明会資料


橘寺・節分情報

星祭、午前10時から夕方まで、国家安泰・五穀豊穣・無病息災・厄除けを祈願し、
護摩をたく。ぜんざいの接待、福引券付き福豆の配布がある(無料)。
当日は入山料無料。

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更新ですぅ♪

飛鳥写真館 高取から明日香へ 
週刊飛鳥便り
週刊さわらび通信   でっす♪

お時間のあります時にでも。m(_ _)m


いよいよ明日から2月♪  蘇我氏の季節♪ (笑)


「飛鳥庵集会」 参加募集♪
どなたでも参加していただけます。 初めての方もお気軽に♪

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奇怪なタイトルですけど。(^^ゞ

NHKで2日に面白そうな番組がありますよ~♪
こちら♪  

胸騒ぎの甘樫丘東麓遺跡♪ (笑)

皇極3年(644)冬11月、蘇我蝦夷と入鹿は、『家を甘檮岡(甘樫丘)に並べて建て、
大臣の家を上の宮門、入鹿の家を谷の宮門と呼んだ。
また、その男女を王子(みこ)とよんだ。
家の外には城柵を造り、門のわきには兵庫(武器庫)を造り、
門ごとに水をみたした舟一つと木鉤(とびぐち)数十本とを置いて火災に備え、
力の強い男に武器をもたせていつも家を守らせた。

大臣は、長直(ながのあたい)に命じて大丹穂山(入谷?)に桙削寺(ほこぬきのてら)を造らせ、
また畝傍山の東にも家を建て、池を掘ってとりでとし、武器庫を建てて矢を貯えた。』

上は、日本書紀の記事です。

皇極天皇の時代になり、急速に蘇我氏の専横ぶりが書き連ねられ始めます。
上の記事も、通説では宮殿を見下ろす甘樫丘上に私邸を建てるという、
不遜な行いの一つと数えられます。

σ(^^)には、本当にそうなのかっていう疑問がずっとありました。
邸宅を武装化しているように書かれているのですけど、
甘樫丘に立ってみると、確かに飛鳥真神原を一望には出来るのですが、
それ以上に西及び北の視界の広さに気付きます。
飛鳥を見るためと言うより、飛鳥の外を見るためなのではないかと思っています。
蝦夷の邸宅の一部(物見台など)が、豊浦展望台にあったと仮定しての話ではありますが。
(ちなみに甘樫丘東麓遺跡から飛鳥板蓋宮は見えません。)

上から見られることが専横の証拠とされるなら、飛鳥の宮は盆地の低地に位置します。
その地にある限り、実際に人々の住まいがあったと思われる東の丘陵地帯からは、
見下ろされる位置にあるわけで、立地が既に矛盾しているようにも感じます。

蘇我氏は、畝傍山の東の家の他に近辺に石川など大きな土地を持っています。
その辺りを飛鳥の玄関口だとすると、見方も変わってくるのではないでしょうか。
以前にも書いたと思うのですが、山田寺が東の関所であったと考えられます。
(当サイトのいろいろのページに書いています。m(_ _)m)
お寺は重要な防御拠点にもなりえます。
それは、壬申の乱や乙巳の変(大化の改新)の記事を見るまでもありません。
桜井市山田は、現在でも山田道を見下ろす位置にあります。
高みに櫓でも組めば、北の方向にかなりの視野を持つことが出来ます。

こうしてみると、飛鳥の東西を押さえていることになり、
この記事に続く桙削寺の記事の意味が、より分かりやすくなります。
所在地が入谷説や高取町の南とする説も有るようですけど、
ともかく南の抑えと考えることが出来ます。

これは、もう私邸を武装化しているというより、飛鳥の防衛網ではないのか?
蘇我氏は、飛鳥防衛構想を練り上げていたのではないか?
そこには、専横な蘇我氏の顔を見ることは出来ません。
これが真実ではないのか、そんな気がしてなりません。

蘇我氏の実像は、発掘調査の進展と共に明らかになって行くのではないでしょうか。
そういう意味でも、2月3日の「発掘された蘇我氏の飛鳥」という講演会は、
興味深く、タイムリーな演題であると思います♪ 
何がタイムリーって? ふふふっ♪

平成18年度冬期企画展
発掘調査速報展 「飛鳥の考古学2006」



2月3日の件はこちら♪  「飛鳥庵集会」 参加募集♪

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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