飛鳥三昧の 大和三山「耳成山」 のページで、6年前に書いた記事について、
新事実が分かりました。
天正10年の本能寺の変の時、徳川家康は堺にいました。
変を聞いて、三河へ帰ろうとした時、いわゆる伊賀越えの話が伝わっていますが、
耳成山の近くを通った時、山から狙撃されたという話があります・・・・。
という話なんですけど、これが事実であるかも知れない可能性が高くなりました。
家康は、榛原から高見峠を越える伊勢本街道を通って伊賀に北上したようですけど、
その途上、石原田村と言うところを通っていることが分かりました。
そこは、耳成山の東に位置し、横大路(伊勢街道)に沿った集落があります。
ここに石原田ゲンタ(源太?)という者がいて、数百の手勢で家康を襲ったのだそうです。
このことは、葛城市に勢力を持っていた布施氏の末裔に伝えられているようで、
布施氏は、家康に味方して護衛を買って出ていたようです。
自分の手柄を誇張している可能性はありますが、
そのようなことがあった可能性は増えたように思われます。
布施氏は、葛城に難攻不落の城を持っていたことで知られています。
葛城市の屋敷山というのは、この布施氏の平時の屋敷があった場所だと言うことでした。
6年越しにページでの謎が解明されたようで、気持ち晴れバレです♪ (∩.∩)
新事実が分かりました。
天正10年の本能寺の変の時、徳川家康は堺にいました。
変を聞いて、三河へ帰ろうとした時、いわゆる伊賀越えの話が伝わっていますが、
耳成山の近くを通った時、山から狙撃されたという話があります・・・・。
という話なんですけど、これが事実であるかも知れない可能性が高くなりました。
家康は、榛原から高見峠を越える伊勢本街道を通って伊賀に北上したようですけど、
その途上、石原田村と言うところを通っていることが分かりました。
そこは、耳成山の東に位置し、横大路(伊勢街道)に沿った集落があります。
ここに石原田ゲンタ(源太?)という者がいて、数百の手勢で家康を襲ったのだそうです。
このことは、葛城市に勢力を持っていた布施氏の末裔に伝えられているようで、
布施氏は、家康に味方して護衛を買って出ていたようです。
自分の手柄を誇張している可能性はありますが、
そのようなことがあった可能性は増えたように思われます。
布施氏は、葛城に難攻不落の城を持っていたことで知られています。
葛城市の屋敷山というのは、この布施氏の平時の屋敷があった場所だと言うことでした。
6年越しにページでの謎が解明されたようで、気持ち晴れバレです♪ (∩.∩)
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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