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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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第25回定例会の日、帝塚山大では「有間皇子を考える」という魅力的なシンポジウムが開催されていた。風人は分身出来ないので定例会にだけ参加したけど、こちらもめっちゃ興味を惹かれていた。(^^ゞオイオイ!
で、その中で、清水先生が有間皇子の邸宅を軽市付近ではないかと発表されている。その可能性をもう少し早く知っていたら、第25回定例会配布資料に盛り込めたのにと、予定がバッティングしてしまったのを改めて悔やむ。(-_-;)ザンネン!!

以前から、有間皇子邸、生駒市壱分説は聞いたことがあった。遠い所に住んでたん?って思ったのだけど、それ以上の興味を持ったことは無かった。先生は、有間皇子変の時間経過から、飛鳥からさほど遠い場所ではないと考えられて、また、父の孝徳天皇が軽皇子と呼ばれたことに着目。丈六付近にあった軽市付近に住んでいた可能性を指摘されている。

いやぁ~おもろいやん♪ やっぱシンポジウム行けば良かった! オイオイ!!

まっ、資料を頂いたので、良しとしよう♪


昨日の甲斐弓子先生の講演も面白かった。「和銅4年の奈良朝政府-崩壊と造営-」と題しての講演。
飛鳥限定の知識しかない風人には、和銅4年が既にピンと来ない。(/_;) そか!平城遷都の翌年かと思いつくには年表が要った。(>_<)ナサケナ 
遷都に伴う不穏な状況もあるなかで、建設的な崩壊と造営が行われた年として取り上げられ、単に歴史上の事変としてではない時の流れと元明天皇の想いをお話いただけた。
元明天皇といえば、σ(^^)にはあまりイメージが無い。遷都による混乱とその対処としての様々な施策や神や仏への鎮めの想いが、事例を挙げて紹介されました。それは、聖武天皇に鎮護国家思想として引き継がれて行く。
面白いなぁ~♪ 

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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