たくさんいただいて帰った資料。読まないと・・・。
がんばろ。
大壁遺構。
この柱穴の不揃い感が気に食わないσ(^^)は、非常に真面目で几帳面です。(笑)
いくら壁土で塗られて見えないとはいえ、こんな建て方をする奴は許せん。(爆)
観覚寺遺跡の大壁建物の柱穴は、もう少し密で等間隔に並んでいたように記憶しているのだけど、時代や作り手が違うからなんかな?
7世紀前半まで、檜隈の丘陵上には、檜隈寺の前身となる仏堂と、L字形カマドを持った竪穴建物や大壁建物が建っていた。東漢氏が、そのような半島の伝統を受け継いだ建物に住んでいたのだろう。彼等は、周辺の開拓と共に、その技術力・戦闘力を持って蘇我氏に仕えた。蘇我本宗家滅亡を期に、より我国への同化を求められたのかもしれない。というか、命令ではなくて、生き残るための方便であったのかも知れない。伝統に固執することを嫌った一家だっただけかもしれないけど。(笑) 高取町の方では、伝統的な建物が造り続けられるんだけど、それは、飛鳥との距離の差なんだろうか?
3面(4面?)庇の中心的建物と間仕切りのある建物。また総柱の建物。床束?総柱?な塀で囲まれた建物。この建物も庇付かもしれない。さらに3棟の掘立柱建物が検出されている。
建物の乗る尾根筋は、檜隈寺のある尾根よりも高い位置にある。一族の象徴となる寺院を見下ろすロケーションだ。きっと、一族の中でも、中心的な人物の邸宅ではないのだろうか。尾根の先からは、真弓丘陵や紀路が見下ろせる。良い所だ♪
檜隈に、東漢氏の確かな痕跡を見た♪
がんばろ。
大壁遺構。
この柱穴の不揃い感が気に食わないσ(^^)は、非常に真面目で几帳面です。(笑)
いくら壁土で塗られて見えないとはいえ、こんな建て方をする奴は許せん。(爆)
観覚寺遺跡の大壁建物の柱穴は、もう少し密で等間隔に並んでいたように記憶しているのだけど、時代や作り手が違うからなんかな?
7世紀前半まで、檜隈の丘陵上には、檜隈寺の前身となる仏堂と、L字形カマドを持った竪穴建物や大壁建物が建っていた。東漢氏が、そのような半島の伝統を受け継いだ建物に住んでいたのだろう。彼等は、周辺の開拓と共に、その技術力・戦闘力を持って蘇我氏に仕えた。蘇我本宗家滅亡を期に、より我国への同化を求められたのかもしれない。というか、命令ではなくて、生き残るための方便であったのかも知れない。伝統に固執することを嫌った一家だっただけかもしれないけど。(笑) 高取町の方では、伝統的な建物が造り続けられるんだけど、それは、飛鳥との距離の差なんだろうか?
3面(4面?)庇の中心的建物と間仕切りのある建物。また総柱の建物。床束?総柱?な塀で囲まれた建物。この建物も庇付かもしれない。さらに3棟の掘立柱建物が検出されている。
建物の乗る尾根筋は、檜隈寺のある尾根よりも高い位置にある。一族の象徴となる寺院を見下ろすロケーションだ。きっと、一族の中でも、中心的な人物の邸宅ではないのだろうか。尾根の先からは、真弓丘陵や紀路が見下ろせる。良い所だ♪
檜隈に、東漢氏の確かな痕跡を見た♪
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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