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デカデカと新聞TOPを飾ってましたね。
どうもこういう記事って、疑ってかかるσ(^^)。ほんまか?から取り掛かる。(笑)

「古墳の周囲から出土した土器の放射性炭素年代測定と呼ばれる科学分析の結果、西暦240~260年に築造されたと」記事には出ています。

箸墓古墳の調査は陵墓指定地だから出来ません。で、周囲なんですよね。それで、古墳の築造期を特定出来るのでしょうかね? 周囲とは、どの辺なんでしょうか?具体的な場所を知りたいな。
年代決定と伝えられているのは、出土土器でしょ?いつ埋められたとか、埋められた状況とかも考古学的に確定しているんでしょうか?そこのところが、一番知りたいな。

放射性炭素年代測定って、どの程度の正確さがあるのでしょうか?考古学的な年代観とのずれは、他の遺跡・遺物ではどうなんでしょうか?それも知りたいです。
単に、周囲からの出土遺物だけの年代推測で、古墳自体の年代を決定するのも大胆すぎませんかね?もっと、全体的な判断が必要なのではと、ど素人のσ(^^)が言っても仕方ありませんが。(^^ゞ

以前下ツ道の側溝から、6世紀末頃の須恵器が出てきたニュースがありました。飛鳥遊訪マガジンでも、近江先生が連載してくださっているので、ご存知だと思います。近江先生・奥井先生は、出土状況や出土遺物を綿密に検証されていました。皆さんもその経緯をよくご存知だと思います。今回の土器が、そのような検証の過程を経て、古墳築造期に埋められた物、あるいは埋まった物と確定して、放射性炭素年代測定という科学的な手法が、ほとんど狂いの無いものだと分かったら、大和に卑弥呼の時代の古墳があったと言うことになるのではないかと、σ(^^)は思います。
その古墳が、卑弥呼の墓であると言うには、まだそれでも足りないかも。

という疑問があるので、箸墓は卑弥呼の墓とは、σ(^^)はまだ思いません。早くすっきりさせてください♪(笑)


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プロフィール
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真神原連風人
年齢:
1450
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性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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