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ここに何やら書けば、某ブログで反応がある♪ (笑) 
プレッシャーも掛けられるし、リクエストも出来るみたいや。(^^) これは便利で良いぞ♪(爆)
いえいえ!そんなことは致しませんですよ。いずれ我が身に返ってきそうな予感も致しますので。(^^ゞ 

嶋と島庄
やっぱ予想通りの変遷を経て「嶋」→「島庄」になったみたいですね。越智さんとかも出てくるのね。なるほど。橘に吸収されてた経緯も分かった。だからって、直接第27回定例会には役に立たないと思うんだけどね。(^^ゞ まっ、そういう知識もあればフリートークに役立つ時もたまにある。(笑) 結構、嶋宮って田んぼを持ってたことが分かってきたけど、どの程度の収穫量だったのだろう。嶋宮を経済的にも支えていたとしたら、相当な収穫が必要だと。もちろん、嶋宮近辺にだけ田畑を持っていたわけではないにしても。11町ってどの程度の米が出来るんかな? 調べてみたいが。(^^ゞ


今朝は、万葉集13-3223・3230・3231を見てた。見てただけですが。
「・・・神名火の清き御田屋の垣内田の池の堤・・・」
「・・・鳥網張る坂手を過ぎ石走る神名火山に朝宮に仕へ奉りて吉野へと・・・」
「・・・三諸の山の離宮地」(或る本の歌に曰く、古き都のとつ宮ところ)

ネット辞書によれば、 「御田屋」は、神領の田地を管理する人のいる小屋のことだと。つまり、管理する施設の垣に囲まれた神田があって、そこには水を引く為の池があった。

坂手→吉野ヘのルート上にある石走る神名火山にある朝宮

久に経る三諸の山の離宮地

平城遷都後の歌と思われるので、これらは嶋宮を指しているとされるみたいだけど、一番上のはそう思えるのだけど・・・、下の2首は今一確証がないのでは? 
朝宮ってなに? 明日香皇女の挽歌にも出てくるみたいだけど、特定の宮殿を指しているわけでもなさげ。(^^ゞ 

歌に書かれたルートとか内容から、飛鳥にある離宮だと思うんだけど、平城遷都後に残っていた飛鳥の宮は、嶋宮と小墾田宮。神名火山がどの山(丘)を指すのかによって変わるんやない? とか、とか。

朝から悩ましい。(笑)


早急に「条里復原図No94」を見たい。橿考研博情報コーナーに行かねば。4日に行けるだろうか・・。


6月です。

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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