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昨夜、難波大道に関するニュースが出ていたのですが、
アンケートの集計や飛鳥検定の準備作業で忙殺されていました。(*_*)

古道は元々関心を持っているし、メルマガでもお世話になっている近江先生の影響もあって、最近一層注目しています。けど、正直に言うと、大阪の方の道路はほとんど知りません。(^^ゞ 土地勘が無いんですよね。

難波大道って言うのは、古代の官道で、難波宮から南に延びる直線道を指します。今まで、その建設された時期について諸説あったのですが、今回の発掘では、その側溝から七世紀中頃の土器が出土したことにより、発掘された道路遺構が大化改新政府である孝徳天皇の前期難波宮の朱雀大路の延長道路「難波大道」であるとされました。

遺跡としては、堺市と松原市にまたがる大和川今池遺跡です。発見された道路遺構は、幅約17メートル、長さ46メートルの遺構と、東西両端の側溝跡が新たに確認されました。土器はその側溝から出土したようです。

孝徳天皇の前期難波宮造営に合わせて難波大道が整備されたことは容易に想像が出来ます。飛鳥と難波をより緊密に繋ぐ必要があるからです。
しかし、『日本書紀』の推古天皇21年(613)11月条に「又、難波より京に至る大道を置く」という記事があります。飛鳥の小墾田宮から難波津を繋ぐ道の必要性が高くなったこの推古朝に、横大路・竹ノ内街道(など)・難波大道を繋ぐ大幹線道路が、すでに在ったとしても不思議ではないように思います。『日本書紀』の仁徳天皇14年条に「是の歳、大道を京の中に作る。南の門より直ちに指して、丹比邑に至る」という記事もあります。この記事の真偽は分かりませんが、古くから難波大道に先行する道路もあったのでしょうかね。

今回検出された道路遺構は、七世紀中頃のものだったのでしょうが、それ以前に道路が無かったことにはならないと思うのです。
「難波大道は七世紀中頃に建設された!」という言い方は良くない見出しだと思うんだけど・・。 

数年前に、堺から羽曳野市までの竹ノ内街道を歩いたとき、難波大道との推定交差地点を通ったことを思い出しました。
今週末の土曜に、現地説明会があるのですが、行けそうにありません。(>_<)

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真神原連風人
年齢:
1450
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男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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