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昨日新聞発表のあった山田道は、7世紀の中頃に整備されたとのことだった。
出土土器などによって判断されたとのこと。
木簡も出ていたはずなんだけど、そのニュースはなかった。

で、日本書紀のその辺りを探してみた。
日本書紀孝徳天皇白雉3年(653年)6月、百済と新羅とが使いを遣わして調をたてまつり、物を献上した。また、各所の大道を修理した。 という記事があります。

年代的には、ちょうどこの辺り。(^^)
このすぐ後、中大兄皇子は、天皇をほっといて飛鳥川辺宮に戻ってきます。
大化の改新を踏み出した政権が、中央集権国家としての新たな展開を企てるため、
飛鳥を再整備して、再び首都としようとした整備計画の一環であったのかもしれませんね。

小墾田宮と山田道、まだまだ楽しめます♪
sP1200908s.jpg
     奈良文化財研究所の許可を取って掲載しています。無断転用禁止
(飛鳥資料館ロビー模型)

この模型は、雷丘東方遺跡を小墾田宮として再現しています。
ただし、いつの時代の宮であるかは明示されていません。
良い感じなんですけどね~。。。 (笑) 
推古天皇の頃の(7世紀初頭)山田道が、小墾田宮の北側を通ることはありえない!
σ(^^)は、そう思う。 


ももさんの「桃の葉っぱ」>「7世紀中の山田道」にトラックバックしました。


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プロフィール
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真神原連風人
年齢:
1450
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性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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