山田道にまたまた新展開♪
前回の現説があった藤原京期と天武期の下層から、
新たな道路遺構が見つかったようです。
7世紀半ばの東西方向の溝(長さ26m、幅1.3~1.8m)が検出され、
山田道の南側溝とみられ、また石組みの跡があったようです。
やっぱり、湿地を埋め立て造成しなくてはならなかったので、相当苦労したようですね。
溝の側に、葉のついたシイやサカキなどの枝が敷き詰めた面の跡があったようです。
渡来系の土木技術「敷葉工法」というらしい。水はけの悪い地盤を補強したんでしょうね。
ぅ~む。7世紀半ばまで、ここに山田道が在ったのか・・・・。 (^^ゞ
天武期に移動したと思っていたのだけどな。。。
しかし、まだ7世紀初期の山田道は分からないわけで、自説はまだ残ったぞ。(笑)
石神って、現説の後の方が絶対面白い♪ (^^)
この模型は、藤原京期か天武期を想定してるみたいです。
結果的には、この模型は間違っていることになったみたいですね。(^^ゞ
ももさんの「ありのすさび」>「出た♪」にトラックバックしました。
前回の現説があった藤原京期と天武期の下層から、
新たな道路遺構が見つかったようです。
7世紀半ばの東西方向の溝(長さ26m、幅1.3~1.8m)が検出され、
山田道の南側溝とみられ、また石組みの跡があったようです。
やっぱり、湿地を埋め立て造成しなくてはならなかったので、相当苦労したようですね。
溝の側に、葉のついたシイやサカキなどの枝が敷き詰めた面の跡があったようです。
渡来系の土木技術「敷葉工法」というらしい。水はけの悪い地盤を補強したんでしょうね。
ぅ~む。7世紀半ばまで、ここに山田道が在ったのか・・・・。 (^^ゞ
天武期に移動したと思っていたのだけどな。。。
しかし、まだ7世紀初期の山田道は分からないわけで、自説はまだ残ったぞ。(笑)
石神って、現説の後の方が絶対面白い♪ (^^)
σ(^^)は、推古朝まで遡れば、山田道はこの位置にあったと思うのですけどね・・・。(^^ゞ
奈良文化財研究所の許可を得て掲載しています。無断転載禁止。
(飛鳥資料館ホール模型)
この模型は、藤原京期か天武期を想定してるみたいです。
結果的には、この模型は間違っていることになったみたいですね。(^^ゞ
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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