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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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高取・薩摩遺跡についての記事を、両槻会ブログに掲載しました。
http://asuka33.blog.shinobi.jp/Entry/193/

現地説明会も行われます。
12月14日、午前11時と13時の二回に分けて現地説明会が行われます。
ただし、出土木簡は、同日、橿原考古学研究所付属博物館にて公開されるそうです。

木簡の現物が、橿考研博物館で公開されるって、今のところニュース等には、ほとんど出ていませんのでお気をつけ下さい。
こういうのきっちり発表して欲しいな。(^^ゞ

詳細は、橿原考古学研究所の下記アドレスをご確認下さい。
薩摩遺跡現地説明会のご案内
http://www.kashikoken.jp/from-site/2008/satsuma8/satsuma8.pdf
橿原考古学研究所
http://www.kashikoken.jp/


で、しばらく前になるんですけど、両槻会所縁の先生が新聞にコメントを出しておられたので。(^^ゞ

「源氏物語」の辞書版木-奈良大で2枚発見 (奈良新聞12月5日)
平安文学を研究している同大の滝川幸司准教授も「源氏物語の読者層が、どんどんすそ野を広げていたことがうかがえる」と話している。

ご活躍の様子♪ 嬉しく思いました。o(∩.∩)o



追記 (10日)
ネットニュースを読んでも、テレビのローカルニュースを見ても、昨夜の時点では、木簡の展示が橿考研博物館だとは書いて無かった。(NHK奈良ローカルのみ記載=ニュースはリアルタイムで見られないので、NHK奈良ローカルのネット版文字ニュースより)で、昨日↑を書いたので、実は不安だった。(笑) だって、他では全然出てこないんだもん!確認出来ないんだもん! 不安なので、橿考研の案内を繰り返し見てた。小心者なので。(笑)
で、出てました♪ 案内ページが更新されていて、木簡の展示に関する情報も出てました♪

ネットニュースでも10日12時の読売でやっと出てきた。でも、まだそれだけです。(^^ゞ
新聞にも大きく取り上げられたので、現説参加の人も多いだろうな!
きっと、木簡が見られないと文句を言う人が出てくる。間違いない!(^^ゞ
努力すれば、情報は得られるもの。木簡は微妙な物だから、本物が現地で見れるかな?って少し思えば情報は収集できるのだけどね。新聞・テレビだけの人も多いだろうから、難しいやろな・・・。

現説を担当される皆さん、クレーム覚悟で頑張ってください。(^^ゞ

この風の書の記事、高取・薩摩遺跡で検索すると3番目にかかります。両槻会ブログは4番目。薩摩遺跡で検索してもかなり上位に掛かります。(^^ゞ
で、見てくれはったら良いなと。木簡の展示場分かりますから。(^^)

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藤原宮朝堂院の運河跡から出土した完形の須恵器の壺♪
ほとんど無傷です♪ こんなこともあるんですね。(^^)
ここまで完全な物は、初めて見たかも。

中には何も入っていなかったそうです。

sP1060900.jpg

運河からは、牛や馬の骨が出土していて、運搬に使われたのかとされていましたけど、
なぜ運河から骨が出土するんでしょうね? 犬の頭骨もありました。
死んじゃったので投棄された?
食べられた? 焼いたようでもなかったのですけどね。 
よく分かりませんでした。(^^ゞ


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先日来書いてきました檜前遺跡の建物群に関するニュースが出てきました♪
まだ、出始めたばかりですので、情報は少ないです。(^^ゞ

時代は、飛鳥時代後半から奈良時代前半とみられる5棟の掘立柱建物跡だということです。3時期に分けられ、数回建て替えられているようです。
素人には、柱穴の重なり合いは分からんな~・・。(^^ゞ

時期的には、とても面白い時期になるのかなって思います。
すぐ北側の尾根にある檜隈寺を本格的に整備?創建?した時代なんだろうと思うのです。
そうしたら、この住居跡は、それと関係の無い物とも思えないわけで、造営とかに関連した人達が住んでいたのかなって思ってしまうのですが、妄想が過ぎるでしょうか?(笑)

飛鳥時代の後半というと、蘇我本宗家が滅びた乙巳の変の後であり、天武天皇による叱責などがあった時期になります。東漢氏にとっては存亡の危機にあったわけです。寺院の建立は、一族の再結成のシンボルであったのかなとか思います。
定例会で行った講演会でも、市先生が飛鳥池工房への東漢氏の再編成が行われた可能性をお話されました。東漢氏は、このような事柄に、自分達の再生をかけていたのかも知れませんね。

最も大きな建物は、南北3.6メートル、東西10.5メートルの床張りで、他にもひさし付きや間仕切りをした建物もあったそうです。総柱か?って思ったのは、床束だったのね。
大壁建物やオンドルは出なかったみたいですね。住居の一部だからかな?

今、発掘現場に立てば、小さな尾根の上にあり、見晴らしのある住み良さそうな場所になっています。小さな谷の向こうには、檜隈寺跡於美阿志神社の森が見えます。先日は、彼岸花が見事に咲いていました♪

もう一回ちゃんと見なくてはね♪ 見学会行きま~すっ♪
現地見学会は27日午前10時から午後3時まで。

s080924a22.jpg

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やっと内容が分かってきました♪
ずいぶん余計な情報が流れていたのですが・・・(笑)

藤原宮大極殿の南側(朝堂院朝廷)で、宮を造営する際に使われる資材等を運搬するためのに掘られたとと考えられる運河の跡が、また見つかったようです♪

今回の調査区からは、予想どおりの石が敷き詰められた広場があり、その下から南北に通る幅3.5mから4m、深さ約2mの溝の跡が見つかったようです。

溝は宮の中心部の施設が作られる前に埋められていて、これまでに同じような規模の溝が4ヶ所、直線上に見つかっていることなどから、資材運搬用の運河であったと考えられたようです。その長さは今回を含めると500メートル以上あったと推定されています。

また、運河から枝分かれするような形で斜めに通る溝の跡も見つかり、運河の水の量を調節していた可能性があるとのことですが、大規模な運河網があった可能性も高くなったようです。運河跡からは材木などを運んだとみられる牛や馬の骨も出土しています。

万葉集歌でも知られる藤原宮造営の様子が、考古学によってより鮮明なイメージとして復元されてきましたね♪ 
現説は、9月27日(土) 午後1時30分から1回。

当日は、檜隈の遺跡でも見学会があるので、古代史ファンは頑張りましょう。(笑)

その檜隈ですが、23日に訪ねてきました。
檜隈寺跡の乗る尾根から一つ南の尾根の上にあります。
アマチュアなので、穴ぼこだらけの現場はよく分からないのですが、異常に柱跡らしきものが並んでいました。総柱の建物か?と思える部分もありましたが、建物群というより、回廊とか何重もの塀のようにすら見えていました。
見学会では、資料も準備されるでしょうから、しっかり見直しです♪

s080924a31.jpg

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9月27日は、充分な計画性が無いと、二つの遺跡を見ることは出来ない!

まずは、檜隈寺南から、東漢氏にかかわるか?と思われる建物群が発見された♪
これは見なければなりませんよ♪ 
以前から、ちょっぴり知っていたのですが、遺構の詳細はほとんど知りません。
渡来系なら、大壁建物とかでしょうか?オンドルとかある?
さてさて楽しみですね。檜隈寺の近くですから、檜隈氏なってことになるのかな?
報道発表も未だなので、推測だけです。

現地での説明は無いそうです。現地見学会ですね。

檜隈寺跡の南・約200mの付近。
日 時 : 9月27日(土)  AM:10:00~PM:15:00
場 所 : 於美阿志神社の南方約200m



もう一つは、藤原宮朝堂院朝廷です♪
日 時 : 9月27日(土) PM:13:30~

旗竿を立てる柱穴列が検出された遺構の継続調査の報告だろうと思います。
こちらもまだ、報道発表がありませんので、内容は分かりません。


で、この二つを回るのは、とても難しいですよ! (^^ゞ
檜隈に一番乗りしないと歩いては難しいかも。
二つの遺跡間は、約7キロ。 
檜隈10:30出で、昼食込みで2時間半で13:00藤原到着。
何とかなるか♪

報道発表が楽しみだ♪


で、おもちゃ♪ (笑)  明日香村へのルートが出ます。(^^ゞ



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奈文研より現説開催の案内がありました♪ 
しばらく続いた東院の方ではなく、第一次大極殿院とのことですが、内容については不明です。近い内にニュースが出るかもしれないですね。楽しみ♪

平城431次(中央区第1次大極殿院)発掘調査の現地説明会が開催されます。

日 時   平成20年6月7日(土)
説明は 午後1時30分~ 1回  ※小雨決行
場 所   発掘調査現場

交 通   近鉄 大和西大寺駅北口 から東へ徒歩約20分、または、
JR 奈良駅行きバス 『平城宮跡』下車南へ徒歩5分
報告者   都城発掘調査部 考古第二研究室 研究員 森川 実さん

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キトラ古墳の副葬品の大刀が復元されました。
長さ約90センチ、幅4・4センチ、重さ672グラム。
報道された記事や写真を見ると、太刀は、ヒノキ製の鞘に黒漆で仕上げられ、柄は鮫皮が巻かれていました。また、銀製の金具が取り付けられ、全体としては、シックな感じの太刀として復元されていました。

これまでの発掘調査では、鞘や大刀の破片、金具など計8点が出土しており、金具の種類から2本以上の大刀が副葬されていたと考えられています。
今回は、この内の細身の1本を、同時期の古墳で見つかった例を参考にして復元されたようです。

復元には、出土遺物の他、高松塚古墳やカラト古墳(奈良市)や西野山古墓(京都市)など同時期の古墳の遺物や、正倉院に残る大刀なども参考にされたようです。
太刀の全長は、同じ細身で全体像が分かる北川古墳(群馬県)出土の大刀をもとに決定されたようです。

復元を手掛けられた奈文研の豊島先生は、「洗練された美しさがあり、頭の部分が6角形のくぎなどほかの古墳にはない金具が使われていることから、埋葬された人物の位の高さもうかがえる」とコメントされているようです。
高松塚の太刀とは、また違った感じのするキトラの太刀。被葬者は誰なんでしょうか? 

σ(^^)、この太刀、好みです♪ 
キトラ古墳の壁画展が始まっていますが、「子・丑・寅」より見たいなって思っています。
太刀も、5月9日からの特別公開期間のみなのが残念です。


で、飛鳥遊訪マガジンも発行したばかりなので、ここで情報を流しておきます。

キトラ古墳展の関連して、文化庁主催記念講演会があります。

日 時: 平成20年5月17日(土)14時~16時(13時半より受付)
会 場: 奈良県立万葉文化館企画展示室
講演者:川野邊渉氏(東京文化財研究所保存修復科学センター副センター長)
相原嘉之氏(明日香村教育委員会文化財課主事)
参加費:無料
参加申込方法:往復はがき(先着400名)
往復はがきに住所・氏名・電話番号・希望人数(1枚につき2名まで)
返信面にご自身の住所をご記入の上,下記までお送り下さい。
申込先 : 〒634-0102 奈良県高市郡明日香村奥山601
飛鳥資料館「記念講演会受付」係
お問合せ: 050-7105-5355(キトラりんりんダイヤル)
申込期間 : 平成20年4月22日(火曜日)~5月10日(土曜日)必着

飛鳥遊訪マガジンでもお馴染みの、相原先生の講演もありますので、
σ(^^)はすでに申し込みました。(^^v


今日、数名の方から、メルマガの感想を送っていただきました。o(∩.∩)o
いやぁ~♪ 嬉しいですね♪ ありがとうございました。m(__)m

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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