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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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不確かな情報ですが、7日に記者発表があり、8日朝刊から報道が始まるようです。
早ければ、7日夜からネットニュースには出るかもしれません。
未確認情報です。m(__)m

今のところ、σ(^^)の頭は香具山に行っちゃってますけど、
真弓鑵子塚も見学に行きます♪ メルマガに書いたとおりの時間に行きますので、
良かったらご一緒しましょう♪


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9日に、真弓鑵子塚古墳の現地見学会が行われるのですが、
先日近鉄飛鳥駅で、こんなポスターを見つけました。 (クリックしてね)
sP1010728.jpg

分かりやすく作ってあるなって思いました♪
ぅんでも、せっかく作るなら、牽牛子塚古墳や岩屋山古墳の場所くらいは書いておけばって思うのですが。(^^ゞあの辺の道描くの難しいですけどね。(^^ゞ 
遠くから来られる方とか、ついでに見たかろうって思ってしまいます。
その点、両槻会はサービス精神旺盛ですな。(笑)

真弓鑵子塚に関しては、両槻会第六回定例会レポを参照ください。


香具山探検隊の参加申し込みは、下記の記事にコメントしてください。
香具山探検隊
または、左サイドの風の庵・掲示板に書き込みしてください。


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更新ですぅ♪

飛鳥写真館  雨霧雪霞  でっす♪
お時間のあります時にでも。 m(__)m



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橿考研の現地説明会が開催されます♪

日時 : 1月27日(日) 10:00~13:00 (説明は11:00)
場所 : 橿原市観音寺 (JR和歌山線玉手駅から徒歩30分) 
近鉄なら御所駅から歩きですね。乗り換えても良いんだけど・・。
御所市と橿原市の境になります。
ここから西飛鳥の古墳群を抜けて飛鳥にも出られるって事で。(^^ゞ 
でも日曜日だ! (^^ゞ
内容 : 弥生時代中期の方形周溝墓群

詳しくは、こちら♪

って、詳しくは無いですけど。(^^ゞ  地図があります。分かりにくいけど。。。


夕刻からニュースが出始めました。
弥生時代中期(紀元前2世紀ごろ)の大規模な方形周溝墓17基が見つかったそうです。
その内の1基は長辺16メートル、短辺14メートルで、
方形周溝墓としては奈良県内最大なのだそうです。

墓があるということは、近くに大規模な集落があったということで、
曽我川沿いの稲作には適した場所なんでしょうね。
葛城と飛鳥を結ぶ土地で、第六回定例会でも話題になった「茅原」って所になります。

墓の向きによって主に北西方向と北北東方向を向くグループに分けられるらしいです。
「墓を造った集団内の家系の違いなどを表しているのではないか」っちゅう見解が出ています。

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平城第423次(東院地区中枢部)発掘調査の現地説明会があります。

  • 日   時    2008年1月19日(土)
説明は午後1時30分~ 1回   ※小雨 決行
  • 報告者    都城発掘調査部史料研究室   研究員   浅野 啓介さん

大規模な掘立柱建物や石組溝・バラス敷きなどが検出されているようです。(^^)
東院地区中枢部はかなり分かってきたみたいですね♪ 


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斉明天皇の頃には、遠来の客人を迎え、政権の権威を誇示する場所として迎賓館的存在であった石神遺跡。天武天皇や藤原京の時代には、 律令制度の導入という大きな時代の節目に当たって、役所として姿を変えてゆく。
地面の下に隠された歴史の証人として、今ほんの少し遺跡は語り始めたのかもしれない。

今回大きく報じられたのは、南北溝の検出でした。以前の成果と合わせると、200mにも及ぶ基幹水路であった可能性があるということでした。迎賓館の庭を飾った須弥山石や道祖神像などの噴水施設を通った水を、北に向かって排水したのかも知れないと報道されています。
この南北溝は幅約60cm、深さ約30cmで長さ約15mを検出。底に15cm前後の平らな石を敷き詰め、側面は50cm前後の石を組み合わせて護岸としていました。 (新聞によって15cmの玉石と書いてあるものもあった。奈良新聞) 非常に綺麗な溝だと思いました。側面の石が一直線に並んでいます。

同時に検出された東西溝は幅30~40cmで長さ約10m分が検出されました。東端で先の南北溝とT字型に接しています。(どのようにT字に接続しているかは不明ですが、南北溝はまだ続くようですから、南北溝に突き当たるように東西溝が付いているように思われます。) 
接合部付近の溝底にはコウヤマキをくり貫いた木樋(長さ約5m、直径32cm)が据えられていたようです。(何の目的でこのような物があるのかは、今の時点では分かりません。)

この南北溝の東側(7m)に沿って塀跡が検出されています。塀跡はT字状で、東西方向に17m分、南北方向に3.6m分(柱穴3基)が検出されたようです。これもどのようなT字なのかは分かりません。
この塀より東側に明確な建造物跡は見つかっておらず、東端だった可能性が高まったといえるようです。

これらのことから、石神遺跡は南北180m、東西130mに及ぶ施設であったということが判明したと報じられました。


現地説明会を前に、報道されたことをまとめてみましたが、分からないこともたくさん出てきました。 説明会でそれらの疑問が解消されれば良いのですが、とにかく現地を見たいと思います。
出来れば、質問をしていろいろのことを学べればと思っています。

T字に交わるって書くときは、どのようなT字なのか書いてください!報道の皆さん。
|-  T   どっちなん? (^^ゞ

で、この発掘調査現地説明会が、まだ中間報告であることを期待しています。
最近の石神遺跡は、現説の後の方が面白いのです♪ とことん調査してください。m(__)m
縦割りだとか、ダメ押しだとか、深~くまでマニアックに偏執的に掘ってください!
ブラジルに出ても笑ったりしませんから。(笑) ← 笑っとるやん! m(__)m

さぁ! 明日は現説だ♪ (∩.∩) ルンルン♪

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やっと報道が始まりました♪ ほっ♪ 
けど、まだ塀だけです。(^^ゞ まさかこれでお終い?  

石神遺跡で、東端とみられる塀の跡が見つかったと報じられました。
これにより、石神遺跡は東西約130メートルの規模だったと奈文研は判断したようです。
南北は約180メートルと分かっていますのです、これで範囲が分かったということになるのでしょうか。

東端ってことは、塀が途切れていたって事?
折れ曲がっているところが検出された? そこらへんがよく分かりません。(>_<)
続報を辛抱強く待ちます。(^^ゞ

南北溝の東側と書かれたニュースもありましたので、南北塀が見つかったのか?

で、続報
石組み溝の遺構も見つかったようです♪ 
南北溝(長さ約15メート ル、幅60センチ、深さ約30センチ)です♪
底石も丁寧に敷き詰められ、側石も一直線に揃っていて、写真で見る限り綺麗な溝です♪

これまでに見つかっていた遺構と合わせると、溝は総延長200メートル超で遺跡を南北方向に貫いて いたことになります。北限の塀を越え、さらに北へ延びていたようです。
時期的には、斉明天皇期か、それ以前と考えられているようです。

塀は、どうやらこの溝の東側に沿ってあるようですね。 つまり南北塀。
北限の東西塀は出なかったの?


さらに続報♪
塀跡はT字状で、東西方向に17メートル分、南北方向に3・6メートル分が検出されているようです。
ちゅうことは、東西塀は、まだ東に続く可能性があるって事ですよね。(^^)


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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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