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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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石神遺跡のニュースが流れ始めました♪

まだ、全ての成果が流れているとは思えないのですけど、
山田道の幅が18mだったというのと、
それが7世紀後半から8世紀初頭のものであったことに集中しています。

道路遺構の時期確定がどのような根拠に基づくのかは分かりません。
(飛鳥Ⅳ式とかの土器が出てるのかな?基礎工事の土器片とかもそうなのかな?)
藤原京の南限と密接に係わるだけに興味も深いのですけど、
どちらかと言うと、σ(^^)は推古時代の山田道を見たい 
近くには埋もれているのでしょうけど、どこなんかな~。 妄想♪ 北側? いや下か南♪(笑)

IMG_0182s.jpg

写真提供はももさん♪ (マニアック先行現説の成果)  感謝♪

IMG_0187s.jpg

                         写真提供はももさん

南限の側溝を上手く捉えてはります♪ で、現道路の反対ぐらいが北限になるのだと思います。 道路遺構の中を、さらに掘ってはるのは、推古時代の山田道を探してたのかな? なんてね。

表面の石や土器片は、道路の水捌けを良くするための基礎工事のようですね。
整然とした石敷きとは違いますもんね。
と言うことは、路面上部は削られてるってことなのかな?


山田道については、飛鳥三昧のページが詳しいです♪
飛鳥へ続く道 古の道を訪ねて」  「山田道」  
今思うと、多少変な記述もありますが。 m(_ _)m

日本書紀推古16年(608)聖徳太子の「日出処の天子・・・」の書き出しで始まる書簡で有名な遣隋使にたいして、大唐の使者として裴世清が入京します。瀬戸内海を船で難波津に着け、2ヶ月の接待の後いよいよ飛鳥へ入るこにとなります。

そのコースは、大和川から初瀬川へと川を遡らせ、海石榴市に上陸します。
「・・この日、飾り馬七十五匹を遣わして、唐の客人を海石榴市の路上に迎え、・・・。」という日本書紀の記述は、海石榴市から小墾田宮へは、陸路を歓迎のパレードが行われたことを示しています。その道こそが山田道であるのだと思います。

海石榴市から小墾田宮までは、山田道以外のルートは考えにくいです。
σ(^^)は、海石榴市は桜井市粟殿近くにあったと思っているのですが、
山田道は、海石榴市と小墾田宮と軽衢を結ぶことで意味があった道路なのではないでしょうか。

山田道を西に進むとぶつかる事になる雷丘との関係もよく分かりません。
雷の城山と上ノ山の間は、掘削されたものだと思うのですけど、
それはいつ?  5世紀の古墳築造で出来た隘路を山田道の東西を結ぶために拡張掘削したのだと言うのが説得力があるように思うのですけどね・・。 神奈備とも言われることもある雷は、7世紀にはどんな価値観で見られていたのだろうか。

5世紀の古墳や中世の雷城跡はともかくとして、7世紀の石室らしきものまで出てくる。 
聖なる丘の真実の姿って、なんなのだろうか?
飛鳥時代の雷丘は上ノ山だけを言うのかも知れないと思ったりもする。

この発掘調査地は、山田道だけではなさそうです。
木簡も出ているようですし、かなり深い遺構には沼沢地を流れる川?の流路に見えるところも有ります。また石敷きの面も出ているようです。
湿地というか池?川?を埋立てて、この地は利用され続けてきたわけです。
その飛鳥人の姿が見えるような遺構のように思えます。

続報や現説を待ちたいと思います。
σ(^^)の妄想は、もう少し妄想のままであるようですね。(∩.∩)

現説情報は、奈文研サイト

写真を提供してくれた「ももさんのありのすさび」です♪
トラバもさせていただきました♪


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石神遺跡の報道発表は、明日29日みたいです。
公式サイトに現説案内と出ていますけど、ちと先走りました。m(_ _)m

竹田遺跡は、報道も始まっていますね。
飛鳥時代後期の建物跡二棟を含んでいるようです。 小さいみたい。
新田部皇子さ~~ん! お家はどこ? 


--------27日-------------------------------------------

飛鳥藤原第145次(石神遺跡第19次)発掘調査の現地説明会が行われます♪

下↓の記事で予告していたのは、この現説のことでした。(^^)
で、発表がありましたので、風の書でも公開♪


2007年3月31日(土)  説明は午後1時30分から1回  ※小雨 決行
都城発掘調査部   研究員  小 田 裕 樹 氏
詳しい情報は、奈文研サイトトピックスを見てください。



山田道に近い場所なので、古代の道路遺構も検出されているかも知れません。
また、発掘現場を見ると、かなり深くまで掘ってらっしゃるようなので、
より古い時代の遺構も見つかっているのかも知れないですね。

P1180965s.jpg

昨年は、この南側の田んぼから、観世音経と書かれた木簡が出土しているので、
木簡の期待も出来るかも知れないです。

両槻会第一回定例会と日程が重なってしまったのですけど、
どうにかして現地だけは見たいと思っています。

また、同日には、石神遺跡からさほど遠くない竹田遺跡も現地見学会があります。
3月31日(土)13時00分~15時  (説明はありません。) ってことです。

目立った成果が出なかったのかな? 見学会って事ですもんね。
昨年の発掘現場の北側だったので、
新田部皇子の邸宅の中心建物が出るかと期待してたんですけど、
大型の建物は検出されなかったようです。
飛鳥時代後期の建物は、小さな二棟ばかりだとか。



それぞれに、詳しいニュースが流れるのを待ちたいと思います♪

けど・・・、同じ時間に現説と見学会やったらどっちか見られないのとちゃうん?
現説中心に行ったら竹田見れないし、竹田に行ったら現説途中からになるよ!
現説普通は1時間半ほどかかりますよね。 少しずらさないのかな普通! 疑問!


奈文研サイトには、先週土曜日に行われました「第二次大極殿院東方官衙地区の
現地説明会資料とパンフレットが公開されています。
よく出来た資料でした♪   行けなかった方、入手出来なかった方はどうぞ♪


最近、真神原より北の方が気になるσ(^^)。
石神の北から西って、飛鳥時代にはどうなってたんだろう?
真神原のイメージって結構出来てきたと思うんだけど、こっちの方は全く分からん。
石神は継続的な調査が行われて、ずっと見てきたから素人なりになんとなくわかるんだけど、
その西や北西が気にかかる。

飛鳥時代、飛鳥川は雷丘の東を小山に流れていたわけで、
そうなると小墾田宮ってのは、飛鳥川の東西のどちらに在った事になるんだろうか。
雷東方遺跡の位置からみると西岸すぐ側のようにも思うんだけど・・・。
それは奈良時代の小墾田の宮なわけで、飛鳥川は流路を変えていたはず。
あの辺傾斜してないかな・・?今見ると、雷丘の上ノ山の裾野って感じがする。

飛鳥川が流路を変えるまで、今の飛鳥川の流れる場所はどうなっていたのだろう?
飛鳥時代の景色がまだ見えてこない!

石神遺跡の北から山田道までの間は、整地が行われてきたようだけど、
その西辺りに小墾田宮は無かったのかな? 
飛鳥川東岸の方が傾斜も少ないのじゃないのかな?
だからこそ湿地帯でダメなのかも知れないけど。。。。 
瓦を葺こうとして柱が腐ったって話もあったな~・・。  だったら・・。
山田道があって、中つ道の延長線と交わる辺りって、なんかあっても良いんじゃ無いのかな?
そういう妄想がずっと頭に住み着いてる。

今回の発掘成果が、そんな疑問に少しでも答えてくれたら良いな♪

ネットニュース出てきませんね。(^^ゞ  σ(^^)フライング? (^^ゞ 
だったらすみません。m(_ _)m

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両槻会サイトの予定のページに、第二回定例会の案内とコース詳細をアップしています。
季節も最高のハイキングシーズンです♪ 
飛鳥資料館で開催中の玄武特別公開の見学も可能な予定になっています。(∩.∩)
夕方からの見学になりますが、その方が並ぶ時間も少なくて済むかも知れませんよ♪
皆さんの、参加をお待ちしています。 詳しくは、両槻会サイトをご覧下さい。m(_ _)m


第二次大極殿院東方官衙地区発掘調査の現地説明会があるそうです♪

日 時      平成19年3月24日(土)
説明は 午後1時30分~ 1回  ※小雨決行

交 通      近鉄 大和西大寺駅北口 から東へ徒歩約30分、または、
JR 奈良行きバス 『平城宮跡』下車南へ徒歩10分
担当の先生   都城発掘調査部 遺構研究室    粟野  隆 氏

現場の所在地などは、こちらで確認してください♪ 
奈文研サイト「トピックス」


行けるかどうか・・・・。 気持ちは行ってるんだけど・・。 多忙!(>_<)

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継体天皇陵との説が有力な高槻市の今城塚古墳(6世紀前半)で、
横穴式石室を支える巨大な石組み跡が見つかったというニュースが流れています。

ちょっと守備範囲外ではあるのですけど、継体さんの大和に入ってからの宮が置かれた場所が、わが家からそんなに遠くない磐余だとされているので、結構親しみのある大王ではあります。

ただ、分からないことが多すぎて、正体が知れないってイメージを強く持っています。
謡曲「花筺 」にも登場したりとか、
越前から大和に入ったと言うことで注目される大王の一人なのでしょうね。

今回、その陵墓であろうとされる今城塚古墳で調査が行われ、
石室を支える基礎石組みが見つかりました。
これってどこかで・・・・・って、聞いたとたんに思ったのです。(^^ゞ
で、暫らく頭の中を発掘しまくる! やっと隅っこで寝ていた記憶を掘り出せました♪

0411140008s.jpg

                 市尾墓山古墳です♪                                             

2004年の発掘調査現地説明会で、朱の残る石棺を見学した時に、
石室の沈下を防いだり、安定させるための基礎石組みを見ていました。
古墳の築造時期は、細かくは分かりませんけど、共に6世紀前半とされています。
古墳の規模は全然違いますけど、当時の最先端の古墳築造技術だったのかも知れないですね。

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昨日の現地説明会には、たくさんの見学者が来られていました。
間接的に聞いただけですけど、ニュースでは9000人と伝えていたそうです。
終日では、もっと多かったかもしれません。

昼過ぎからの生憎の雨のためもあるのでしょうか、
夕方の説明では、さほど待たずに見ることが出来ました♪

資料図は、時代区分されずに描かれているので、ごちゃごちゃと見難くなっています。
で、大きな時期区分にしたがって、3時期に分けて描いてみました♪
多少分かりやすくなったでしょうか?


touroku-1.gif

Ⅰ期 (7世紀前半)

touroku-2.gif

Ⅱ期 (7世紀中頃~後半)

touroku-3.gif

Ⅲ期  (藤原宮期)

遺構は、大きく3期に分かれて造成が行われているそうです。
最下層から最上層までは、1m近く有りそうでした。

070212d093s.jpg


この3期の遺構の中で、2期の古い段階までが蘇我氏の邸宅の一部である可能性があります。
ただ、地形を見ると主な建物は、この谷にある可能性は低いのではないかとσ(^^)には思えました。


飛鳥京157次調査
今回の連荘現説は、どちらかと言うとこの東西溝に興味がありました。
157.gif

上は、だいたいの地図です。(^^ゞ

070212d125s.jpg

で、早くに行ったので、橿考研の先生を捕まえて質問したりしていた。
ぅんで、初めに聞いた先生は、西の川の辺りは分からんけど、
宮は多角形ではなく四角を想定出来るっておっしゃった。

でで、東を向いてみた。
あかんやん! 飛鳥寺の瓦窯のある丘上で東限の南北溝と交差する。
現説の後で、別の先生に聞いてみた。 曲がってるかもって・・・。(^^ゞ
なんか自信なさげ。。。。

飛鳥京って、ほんとはどうなってたんだろう?
またまた分からなくなった。


昨日は、お昼前に飛鳥庵へ。
飛鳥京157次の現場を覗いたり、質問したりして時間が経過。
店を開けて暫らくすると笑いネコさん登場♪
おにぎりなどで、昼食タイムになった♪
その後、姫?、TOMさん、ユミさん、若葉さんと続々とネット仲間が登場♪
kameuchiさんが来られた時に、橘寺に行くのを忘れていたのに気付く。(^^ゞ
皆で行くことになった。

両槻会で橘寺往生院を使わせていただくことことが正式に決定した。
好意に感謝しながら、いろいろと話をする♪

この少し前から降り始めた雨が激しくなってきた。
休憩所に避難。
暫らく、動けなくなってしまった。(^^ゞ

ようやく雨の上がった頃に、人も少なくなったのではと期待を持って東麓遺跡に。
並んで入るが、かなり減っていた♪ 随時現説は、ラスト頃が良い♪

うだうだ言いながら飛鳥庵に戻る。
りょうさん、太郎さん、京子さんが、飛鳥庵に居た♪
またまた歓談♪ 
藤児媛さんが、やってきて仲間入り。

飛鳥京157次の現説に行く。
こちらも、待つほどもなく始まった。
見学者が異常に多いので、東麓もここも説明は簡単だ。
まっ、仕方ないだろうな。

飛鳥庵に戻って、おばちゃんの入れたくれたコーヒーを飲んで歓談♪
4時半ごろ、さわさんに向けて歩いて引き上げた。
お会いしました皆さん、ありがとう♪ またよろしくです♪

P1170816s.jpg
P1170819s.jpg



昨日のいただき物♪  ありがとうございました。(∩.∩)

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飛鳥京外郭北限かっていう石組み溝が検出されたのは、
157次調査なのですけど、その調査に先立つ152次調査が、
2004年3月に今回の調査地付近で行われていました。

飛鳥宮内郭正殿が検出された153次調査と同時でしたので、
σ(^^)には鮮明な記憶として残らなかったようです。(^^ゞ

で、この152次調査で、南北石組み溝が検出されていました。
石組み溝の規模もほぼ同じですし、作り方も似ているようです。
一連の排水施設と思って間違いないようですね。

橿考研サイト 152次調査現説資料

s.jpg

上の写真は、σ(^^)が撮ったものです♪  上が北方向になります。
西側の柱穴は、塀ではないかと。

で、思っていたより、ずっと今回の調査区と近いです。
橿考研サイトの写真に写っている農小屋から判断すると、
157次とは近距離の南北の位置関係です。

magami2ss.jpg

クリックで拡大します。

上の写真は、藤本山から撮ったパノラマに調査区を書き込んでみました。
だいたいこんな感じかと思います。152次はもう少し南かも知れないです。
152次の溝と157次の溝は、今回の発掘地点のすぐ東で合流するのでしょうね。

152次は、外郭宮内を流れてきた?
外郭のこの辺りでの西限は、おおよそ今の道の辺りなのでしょうか?
外郭は多角形?
何か、またまた疑問も湧き起こります。(^^ゞ
これが楽しいんですよね♪ (笑)

AM 5:45  by 寝ぼけ風人♪

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昨日の飛鳥京基幹排水路発掘のことで、面白い新聞記事を発見しました。
遺跡の小字名の話です。
確認の意味でも、旧明日香村史掲載の字名を調べてみました。

発掘された田んぼの小字名は「大際目(おおきわめ)」となっています。
で、この小字が、岡と飛鳥の大字の境になっているようです♪
字名からも、この排水路を飛鳥浄御原宮の外郭北限近くと考えて良さそうですね。

発掘の担当者は、この田んぼの形状について疑問に思ったことから、
ぴたりと排水路を当てられたようですが、
地形や小字名は何らかの古代を語っているのかもしれません。
そんな鋭い目が欲しい!(笑) 目だけじゃダメでしょうけどね。(^^ゞ

充分に調べたわけではないのですけど、字飛鳥は「飛鳥寺」、
字岡は「飛鳥浄御原宮」と考えて、大きな間違いは無いのかも知れませんね。
東の丘にかかる辺りは、除外しての話になりますけどね。
字飛鳥の小字名を見てみると、飛鳥寺の伽藍が分かるような小字名が連なります。
ちなみに飛鳥庵は「マダレ」、入鹿の首塚は「五輪」です。
飛鳥寺南大門の所在地は「大門」とあって、隣に「出水」ってあるのも気を引きます。


で、検出された排水路は、非常に良く考えられた構造をしているようです。
東西溝は、長さ13m以上、幅約1.7m、深さ50~95cmの規模で、
現在確認されているものの中では、最大級の物だそうです。

石は2段に積み重ねられ、1段目が約70cmほどもある大きな石を使い、
2段目は20cmほどの石を積み重ねているようです。

この溝に合流する南北溝も同時に検出されているようですが、
こちらは長さ2.3m以上、幅約45cm、深さ30~50cmになるようです。

東西溝は、南北溝のような宮内を通る水路の水を集めて、
西にある飛鳥川に流し込む施設のようで、今回発掘された合流点からは、
排水量の増加を考慮してか、溝は西に向かって深くなっているそうです。

数年前に、この発掘地点から南の方向で排水路が検出されているはずです。
曖昧な記憶なのですけど、結構大きな溝だったように思いました。
この溝も、今回の溝に繋がっているのかも知れません。
ページにする時には(出来るんか?)、確認して書くようにしますね。
現説資料の山を発掘すると、出てくるはずなんですけどね・・・。(^^ゞ

排水路付近から、塀などは見つかっていないようですけど、
この付近が北限だろうとする見解が有力なようです。
そうすると、飛鳥浄御原宮は、南北800m・東西最大500mの規模となります。
飛鳥庵から眺めた景色の大部分が宮であったわけで、
かなりの規模であったのが実感できます。
でも、これもすぐに手狭になったのか、宮は藤原に遷都されることになります。

〇もさんが、気に掛けられていましたけど、
飛鳥寺と宮の間って何が在ったのでしょうね?
70~80m程度の空間があることになります。
ただの田んぼがあったわけはなく、意味のある空間であったように思います。
なんだか中途半端な大きさの空間。気になります!

風人@携帯@移動中  PM16:00

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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