昨日の飛鳥京基幹排水路発掘のことで、面白い新聞記事を発見しました。
遺跡の小字名の話です。
確認の意味でも、旧明日香村史掲載の字名を調べてみました。
発掘された田んぼの小字名は「大際目(おおきわめ)」となっています。
で、この小字が、岡と飛鳥の大字の境になっているようです♪
字名からも、この排水路を飛鳥浄御原宮の外郭北限近くと考えて良さそうですね。
発掘の担当者は、この田んぼの形状について疑問に思ったことから、
ぴたりと排水路を当てられたようですが、
地形や小字名は何らかの古代を語っているのかもしれません。
そんな鋭い目が欲しい!(笑) 目だけじゃダメでしょうけどね。(^^ゞ
充分に調べたわけではないのですけど、字飛鳥は「飛鳥寺」、
字岡は「飛鳥浄御原宮」と考えて、大きな間違いは無いのかも知れませんね。
東の丘にかかる辺りは、除外しての話になりますけどね。
字飛鳥の小字名を見てみると、飛鳥寺の伽藍が分かるような小字名が連なります。
ちなみに飛鳥庵は「マダレ」、入鹿の首塚は「五輪」です。
飛鳥寺南大門の所在地は「大門」とあって、隣に「出水」ってあるのも気を引きます。
で、検出された排水路は、非常に良く考えられた構造をしているようです。
東西溝は、長さ13m以上、幅約1.7m、深さ50~95cmの規模で、
現在確認されているものの中では、最大級の物だそうです。
石は2段に積み重ねられ、1段目が約70cmほどもある大きな石を使い、
2段目は20cmほどの石を積み重ねているようです。
この溝に合流する南北溝も同時に検出されているようですが、
こちらは長さ2.3m以上、幅約45cm、深さ30~50cmになるようです。
東西溝は、南北溝のような宮内を通る水路の水を集めて、
西にある飛鳥川に流し込む施設のようで、今回発掘された合流点からは、
排水量の増加を考慮してか、溝は西に向かって深くなっているそうです。
数年前に、この発掘地点から南の方向で排水路が検出されているはずです。
曖昧な記憶なのですけど、結構大きな溝だったように思いました。
この溝も、今回の溝に繋がっているのかも知れません。
ページにする時には(出来るんか?)、確認して書くようにしますね。
現説資料の山を発掘すると、出てくるはずなんですけどね・・・。(^^ゞ
排水路付近から、塀などは見つかっていないようですけど、
この付近が北限だろうとする見解が有力なようです。
そうすると、飛鳥浄御原宮は、南北800m・東西最大500mの規模となります。
飛鳥庵から眺めた景色の大部分が宮であったわけで、
かなりの規模であったのが実感できます。
でも、これもすぐに手狭になったのか、宮は藤原に遷都されることになります。
〇もさんが、気に掛けられていましたけど、
飛鳥寺と宮の間って何が在ったのでしょうね?
70~80m程度の空間があることになります。
ただの田んぼがあったわけはなく、意味のある空間であったように思います。
なんだか中途半端な大きさの空間。気になります!
風人@携帯@移動中 PM16:00
遺跡の小字名の話です。
確認の意味でも、旧明日香村史掲載の字名を調べてみました。
発掘された田んぼの小字名は「大際目(おおきわめ)」となっています。
で、この小字が、岡と飛鳥の大字の境になっているようです♪
字名からも、この排水路を飛鳥浄御原宮の外郭北限近くと考えて良さそうですね。
発掘の担当者は、この田んぼの形状について疑問に思ったことから、
ぴたりと排水路を当てられたようですが、
地形や小字名は何らかの古代を語っているのかもしれません。
そんな鋭い目が欲しい!(笑) 目だけじゃダメでしょうけどね。(^^ゞ
充分に調べたわけではないのですけど、字飛鳥は「飛鳥寺」、
字岡は「飛鳥浄御原宮」と考えて、大きな間違いは無いのかも知れませんね。
東の丘にかかる辺りは、除外しての話になりますけどね。
字飛鳥の小字名を見てみると、飛鳥寺の伽藍が分かるような小字名が連なります。
ちなみに飛鳥庵は「マダレ」、入鹿の首塚は「五輪」です。
飛鳥寺南大門の所在地は「大門」とあって、隣に「出水」ってあるのも気を引きます。
で、検出された排水路は、非常に良く考えられた構造をしているようです。
東西溝は、長さ13m以上、幅約1.7m、深さ50~95cmの規模で、
現在確認されているものの中では、最大級の物だそうです。
石は2段に積み重ねられ、1段目が約70cmほどもある大きな石を使い、
2段目は20cmほどの石を積み重ねているようです。
この溝に合流する南北溝も同時に検出されているようですが、
こちらは長さ2.3m以上、幅約45cm、深さ30~50cmになるようです。
東西溝は、南北溝のような宮内を通る水路の水を集めて、
西にある飛鳥川に流し込む施設のようで、今回発掘された合流点からは、
排水量の増加を考慮してか、溝は西に向かって深くなっているそうです。
数年前に、この発掘地点から南の方向で排水路が検出されているはずです。
曖昧な記憶なのですけど、結構大きな溝だったように思いました。
この溝も、今回の溝に繋がっているのかも知れません。
ページにする時には(出来るんか?)、確認して書くようにしますね。
現説資料の山を発掘すると、出てくるはずなんですけどね・・・。(^^ゞ
排水路付近から、塀などは見つかっていないようですけど、
この付近が北限だろうとする見解が有力なようです。
そうすると、飛鳥浄御原宮は、南北800m・東西最大500mの規模となります。
飛鳥庵から眺めた景色の大部分が宮であったわけで、
かなりの規模であったのが実感できます。
でも、これもすぐに手狭になったのか、宮は藤原に遷都されることになります。
〇もさんが、気に掛けられていましたけど、
飛鳥寺と宮の間って何が在ったのでしょうね?
70~80m程度の空間があることになります。
ただの田んぼがあったわけはなく、意味のある空間であったように思います。
なんだか中途半端な大きさの空間。気になります!
風人@携帯@移動中 PM16:00
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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