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雨かな・・・・。 (x_x)

明日の壺阪越えは雨になりそうです。
吉野→宇陀も雨になったし、壬申の乱ウォークは雨に祟られてるのかな? (^^ゞ
大した雨になりませんように。(-人-)
行く人は、雨具準備してきてね。 
で、昼食は飛鳥→高取間のどこぞの店で食べましょう。弁当は無理でしょう。

で、世尊寺。
行ったことが無いのですけど、結構大きなお寺です。
創建当時は、もっと立派な伽藍の整ったお寺だったようです。
東西に塔を持つ薬師寺っぽい伽藍配置のようです。
ただ、それがいつ時代の話なのかはよく分かりません。

586年(用明元年)聖徳太子の創建によると寺伝は伝えているようですが、どうでしょうか・・
太子建立48ヶ寺の1つに数えられて、吉野寺・比蘇寺・現光寺とも呼ばれていたそうです。
「日本書紀」欽明天皇14年5月の条に、
茅渟海に浮いていた光輝く樟の木で彫った阿弥陀如来坐像を、
吉野寺に安置したとの本尊由来が書かれています。

吉野への入口的な土地に位置していることもあってか、隆盛を見るようですけど、
中世以後、相次ぐ戦乱による焼失や時勢の変革で荒廃していったようです。
東塔は、室町時代に再建されているのですが、秀吉によって伏見に移転され、
その後家康によって三井寺へと移され、現存するようです。
西塔は、焼失しています。
今は、境内に礎石を残すだけのようですが、基壇や礎石群もかなりはっきりと残存しているようです。

7世紀の瓦が出土していることは知っているのですが、
それがどのようなものであるのかが、分かりません。 お寺に残っているのなら見たいものです。

山門の「猿」は左甚五郎作だとか。

古人大兄皇子や大海人皇子とどう係わっているのかは分かりませんが、
興味深いお寺であることには違いありません。非常に楽しみです。

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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