甘樫丘東麓遺跡から、朱硯の破片が出ていたようです。
朱硯(しゅけん)ってのは、朱墨をする硯(すずり)。
若草伽藍跡からの出土例があるだけの珍しい物だそうな。
で、整地土の中からとあるだけで、東麓遺跡のどこから出たのかの記載が無いので、
時代区分ははっきり分かりません。
小皿か壺の蓋とみられる須恵器を転用したものでだそうで、
分析の結果、朱墨は水銀朱だったそうです。
朱墨を使うって、当時はどう言う目的なんでしょうね?
いったん書いたものを修正するとか、より注意を引くとかって事を考えますけど、
当時も同じなんでしょうか?
そんなところから、付近に在った建物の性格なんかが推測出来るかも。
そんなことを思いながらニュースを読んでいました。
忙しいので、ほとんど更新が出来ません。
ちょっとした時間を利用して、なんとか出来ないかと対策を思案中です。
今少しお待ちください。m(__)m
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
最新記事
(09/28)
(09/28)
(09/28)
(09/27)
(09/26)
(09/25)
(09/24)
(09/23)
(09/23)
(09/22)
(09/22)
(09/21)
(09/20)
(09/19)
プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
ブログ内検索
アーカイブ
解析
フリーエリア