甘樫丘東麓遺跡から、朱硯の破片が出ていたようです。
朱硯(しゅけん)ってのは、朱墨をする硯(すずり)。
若草伽藍跡からの出土例があるだけの珍しい物だそうな。
で、整地土の中からとあるだけで、東麓遺跡のどこから出たのかの記載が無いので、
時代区分ははっきり分かりません。
小皿か壺の蓋とみられる須恵器を転用したものでだそうで、
分析の結果、朱墨は水銀朱だったそうです。
朱墨を使うって、当時はどう言う目的なんでしょうね?
いったん書いたものを修正するとか、より注意を引くとかって事を考えますけど、
当時も同じなんでしょうか?
そんなところから、付近に在った建物の性格なんかが推測出来るかも。
そんなことを思いながらニュースを読んでいました。
忙しいので、ほとんど更新が出来ません。
ちょっとした時間を利用して、なんとか出来ないかと対策を思案中です。
今少しお待ちください。m(__)m
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				同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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