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甘樫丘東麓遺跡見学会に参加してきました♪
報道で得た知識とは、かなりの差がありました。
やっぱり現地を見なくてはね。σ(^^)、全然違うことを思っていました。
ダメですね。(>_<)

stouroku-p.jpg

甘樫丘東麓遺跡北東側半分 西側遊歩道より クリックで拡大表示します。

0b62071f.jpeg

甘樫丘東麓遺跡南西側半分 西側遊歩道より クリックで拡大表示します。
sP1030076.jpg

甘樫丘東麓遺跡会場設置現地説明用図面  クリックで拡大表示します。

今回、注目された蘇我氏の邸宅の一部ではないかと思われる建物は、遺構平面図に赤色で示された建物などです。大規模な整地の後に、七世紀前半に建造され、七世紀中頃に廃絶したと考えられるようです。それは、土坑1から出土した土器の年代区分により確定したそうです。七世紀中頃の土器を含んでいるようです。

sP1030123.jpg
クリックで拡大表示します。
建物1と3は、同面積であることなどから、同一の基準によって建てられた総柱建物であると推定されます。倉庫であると思われているのですが、収納する物によって柱数が違うのでしょうか?
また、建物の方位が気になりました。質問したところ、よく分からないが地形の制約を受けている可能性もあるだろうとの説明をいただきました。

建物2は、5×2間の掘立柱建物で、東側の溝には焼土や炭が検出されたようです。土坑2からは、七世紀中頃の土器が出土しました。倉庫の管理棟である可能性をお話されていました。

これらの建物が、蘇我氏邸の可能性がある遺構ということになります。
これらが廃絶された後に、二つに時期に区分出来る建物や塀が、七世紀末まで存続したようです。

sP1030082.jpg
クリックで拡大表示します。
遺構の真ん中辺りに、石の集積しているところがありました。堀残されている状況から見て、比較的新しい時代の物なのかと思えたのですが、部分的な石敷きかも知れないとも思い、これもお尋ねしたところ、分からないが整地層の補強とも思えるが、全体に検出されてはいない。よく分からないとのお返事でした。

マニアックな質問に丁寧に答えていただいた先生方に、深く感謝申し上げます。m(__)m
ありがとうございました。m(__)m

今後も継続した調査が行われるとのこと、蘇我氏の邸宅との確証を得られる日も近いのかも知れません。楽しみに待ちたいと思います。


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真神原連風人
年齢:
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男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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