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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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昨日の飛鳥遊訪マガジンは早かったでしょ。(笑)
決して、先行情報を持っていたわけではないのです。
ただ、ニュースの出るタイミングを予測していただけ。(^^ゞ
で、他の記事を作って、速報版を出せるように準備していたのでした。
だから、ほとんどのネットニュースより早かったのです♪

けど、少々反省もあります。m(__)m
早さを競っているわけではないのに、情報不足のままで書いたこと。慎重に書いたつもりだけどタイピングが走りすぎたところも・・・・。(^^ゞ 某新聞のように「蘇我入鹿邸、甘樫丘を要塞に」 って、こんなことは書かなかったけどね。(笑)

倉庫と思われたのは、総柱建物であったから。 重いものや物資を集積するのだから、頑丈な建物でなければならないと思うので。ここまでの推測は可能なんだろうと思うのです。
でも、武器庫である可能性は、推測ちゅうか憶測ちゅうかでしかない。そうであれば、書紀の記事を上手く引用できるわけです。けど、入鹿邸には武器庫以外にも倉庫は在って不思議は無い。武器が付近から大量に出土していないのだから、武器庫とは断定出来ないですよね。

で、塀。
検出された塀は、どこをどういう風に限っていた塀なのでしょう?
倉庫を取り囲むようにって書いた記事もあったのですけど、σ(^^)が撮った写真で見る限り、遺構ではまっすぐの塀だと思ったのです。単に区切りの塀なのかも知れないと思うのですが。要塞としての防御のための塀ってのは、やはり言い過ぎではないのか?

でで、今回土器が結構出ているとのこと。
倉庫と思われる建物の西側の穴から出土したそうだ。
飛鳥時代の土器は、かなり時期を特定できるようになっている。σ(^^)ですら若干の特徴はつかめるのだから、当然なのかもしれないが、精度の高い時期区分が出来ると聞く。
それで、今回の出土土器は、650年代とほぼ断定された。で、土器の埋まった穴は、倉庫跡より後に掘られていたので、倉庫は、その前の時代に在ったことになる。つまりは、乙巳の変以前の可能性が高いと言うことなんだと思う。そういうことを踏まえて、場所柄から蘇我氏の邸宅跡である可能性が高くなったのだと思う。

ニュースが出始めた時の熱が少し収まってから書いても良かったかな。(^^ゞ
でもね、どうしてもサービス精神が出てしまうんですね。(笑)
少し反省もしながら、報道に目を通している風人でした。まる!

あっ、σ(^^)、見学会に行きます。
富本銭も見たいので、奈文研にも寄ります。
一緒に行こうかなって方は、耳成駅10時24分着の電車で。
南出口階段上にいます。



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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
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性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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