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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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 中大兄皇子は、近江遷都に際して、三代の近親女性をきっちりと葬りたかったのだろうか。
今の風人からは、あまり幸せだったとは思えない三人の女性。斉明以外は、若くして亡くなっている。それも東アジアの情勢が風雲急を告げるドタバタ劇の最中である。牽牛子塚の堅牢な造りは、別れを告げる地に残す三代の女性を思ってのことなのかもしれない。

マスコミ報道に多く引用された日本書紀の記述には続きがある。「高麗・百済・新羅がみなその道に発哀した。・・・」
立って行く鳥は、飛鳥との決別にそのようなセレモニーを必要としたのかもしれないと、布団の中で思った。(笑)

「皇太子は、群臣に、「自分は、皇太后天皇の勅を体し、万民をあわれむため、石槨の役をおこさぬこととする。後の代までもいましめてほしい」と言われた。」
さらに続く中大兄皇子の言葉は、何を意味しているのだろうか・・・。

大化薄葬令は既に出ているわけで、ことさらに書くのは、この牽牛子塚や、それと一体となった越塚御門も、令にのっとった墳墓だと言い張りたかったのか。はたまた、母の遺言に習ったためなのか。

この記事だけを頼りに、現天皇陵に固執するお役所を見ていると、滑稽ですらある。


先日、水落遺跡現説の後、飛鳥初心者の大使さんをご案内して鬼の俎・雪隠古墳を見てきた。その時、よっぱさん達と話していて、まさか盗掘でここまでしないでしょうねって話していた。欽明天皇陵から天武・持統天皇陵までの東西に伸びる丘陵。何かありますよって話もしていた。第2回定例会でも話をしたかも。東西の聖なるライン!なんて言う気はないけど、面白いなって。
そんなことを思い出してたら、西光先生の鬼の俎・雪隠古墳は改葬前の斉明天皇陵説が報じられていた。ちとわくわくするけど、もう少しちゃんと勉強してからにしなきゃね。そんなこと何時出来るのかは分からんけど。(笑)
もう一つの鬼の俎・雪隠の場所は何処なのだろうか。東の直ぐ側だと聞くが、具体的にそこだとは知らない。

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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