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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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両槻会サイトに、
国営飛鳥歴史公園館公式HPより、リンクをしていただきました。
公園館さん、ありがとうございました。m(_ _)m

国営飛鳥歴史公園館サイト
リンクページURL


週末風人

土曜日♪  
ひな人形の祭典 高取土佐町並み「町家の雛めぐり」に行こうかなって思っています。
何時に出られるかにもよるんですけどね。。
出来たら、稲渕にも回りたいんですけど・・、きついかな~?

夕方は、ちろっとさわさんに居ます。(^^ゞ 
ちと疲れが溜まっているので、飲み過ぎないように早く帰りますけどね。

日曜日♪ 
買出し。(>_<)  
出来たら香具山に入りたいと思っているのですけど、はてさて。。。


お知らせ。

両槻会第1回定例会の講師を引き受けてくださいました滝川先生が、
本を出版になられました。(^^)
先生、おめでとうございます♪   

専門書籍ですので、そこらの本屋さんでは置いていないと思うのですけど、
興味をお持ちの方もいらっしゃると思いますので、ご紹介しておきますね。 

http://www.izumipb.co.jp/sinkan/07feb.htm#23361
↑ 出版社の新刊案内のページ

『天皇と文壇―平安前期の公的文学―』
滝川幸司著
定価8,925円(本体8,500円)
(研究叢書361)A5・上製函入 520ページ 

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えっと、先日更新した「飛鳥写真館 梅の香漂う飛鳥の里」について、
ご指摘とご質問をいただきました。
豊浦寺跡向厳寺とσ(^^)書いてました。間違いです。m(_ _)m
広厳寺って書いたつもりでいたのですけど、確かめもせず書いていたようです。
m(_ _)mフカブカ。

で、豊浦寺跡の上にあるお寺は、現在、正式名称としては、
「太子山 向原寺」と書くのが正しいようです。
江戸時代に建立されたもので、浄土真宗のお寺さんですね。

お寺さんも、宗派が変わったりと、いろいろの経緯があるようでややこしいですね。(^^ゞ
で、広厳寺って名前も実は間違いではなくて、そう呼ばれていたこと、そう呼ぶこともあるようです。
「広厳寺は、向原寺の音から転じたものだろう」と、書かれている書物もあり、
向原寺の名前の後に、広厳寺と呼ばれていた時代があったことが分かります。

寛永3年(1626年)に、編纂されている「大和名所図会」って観光案内書みたいな本にも、「広厳寺」の名前で説明が書かれています。
『 豊浦村にあり。又向原寺に作る。又の名豊浦寺といふ。傍に井あり。桜井といふ。又の名榎葉井といふ。・・・・・蘇我稲目に仏をたまわりければ、小墾田の家に安置し、向原を寺となしけるが、終に守屋大連寺を焼きはらひ、仏を難波の堀江にしづめけり。向原寺は本朝寺院のはじめとかや。』

この本は、全面的に信頼できる資料になるようなものではないのですけどね。当時そのように思われていたということになるでしょうか。

鴨長明の『無名抄』 (1212年頃)には、「かつらぎや豊浦の寺の西にあるえのは井にこそ白玉しづく」と言う歌が取り上げられているそうで、「えのは井=桜井」が鎌倉時代には存在し、知られていたことが分かります。

で、豊浦寺ですけど、日本書紀のこのあたりの記述はややこしい書き方をしていて、よく分かりません。(^^ゞ
豊浦と小墾田の位置関係が実に不確かに書かれています。

欽明13年(552)に、まず蘇我稲目が、私邸の向原の家をもって寺として仏像を安置したました。 これは、守屋などのいわゆる廃仏派によって焼かれています。善光寺の話などはここから派生して行くわけです。

敏達10年(581)に再建され、桜井寺となり百済から帰朝した善信尼など三人の尼僧が住まいします。
この時期、建興寺ともいわれたそうですが、詳しくは知りません。

崇峻5年(592)11月、大臣の蘇我馬子によって崇峻天皇が暗殺された翌月、推古天皇は豊浦宮で即位したのですが、推古11年(603)豊浦宮地と桜井寺地とを交換し、旧宮(豊浦宮)跡に桜井寺を移し豊浦寺といい、寺地に移った宮を小墾田宮(小治田宮)と称したとされています。

さてさて、ここらがややこしい。
向原寺は、桜井って井戸があって、桜井寺とも呼ばれてたんとちゃうん? 
向原のお寺の跡に宮を建てたんとちゃうん?
なら、向原と桜井は同じ場所ってことちゃうん? 
桜井寺は、小墾田に在ったってことやんか、変ちゃうん?
向原寺=豊浦寺=豊浦宮=桜井寺=小墾田宮ってことになって、豊浦と小墾田が同じ場所になっちまう。
というわけで、頭がぐちゃぐちゃになってきます。(笑)

数次の発掘調査で、現向原寺下層から、豊浦寺の金堂・講堂跡と思われる礎石群や礫敷きなどが発見され、さらに一部の下層から石敷きや柱跡が見つかっています。これは豊浦宮の遺構の一部ではないかと言う見方が有力なようです。豊浦宮→豊浦寺は、間違いの無いところでしょう。

今のところは、小墾田宮は雷丘東方遺跡の周辺が有力になっていますが、そうすると上の記事の矛盾が益々大きくなるように思います。
なんとか、これを合理的に理解出来ないものかと思うのですけど、仮に小墾田を「大字」、豊浦(向原)を「小字」と考えれば良いのかな? なんて思ったりしています。

豊浦寺は、飛鳥寺の僧寺に対する尼寺として一対のお寺と考えられていたようです。藤原京遷都でも平城遷都でも豊浦寺は移る事は無く、飛鳥に残ったいたようです。
その後どうなったかはσ(^^)には定かではありません。
本宗家が滅亡してから、このお寺はどうなっていたのでしょうね? 飛鳥寺と同様に官寺に近い扱いだったのでしょうか? 壬申の乱での蘇我氏の壊滅後も生き残っていたようですし、持統朝では飛鳥五大寺の一つとされているので、そうであったのかもしれないですね。

というわけで、問い合わせのお返事として豊浦寺話でした。
さざなみの音に早く目が覚めてしまった産物です。(^^ゞ 


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タイトルと何の関係も無く、玄武公開の日程が決まりましたね♪ とういネタ話です。
かなり前から、風の書では書いていたのですけど、
今日は正式日程発表ってことでしょうか。


「飛鳥資料館公式サイトトピックス」抜粋

平成19年度春期特別展「キトラ古墳壁画四神-玄武-」
平成19年4月20日(金)から6月24日(日)
*5月10日のみ休館
玄武の発生からキトラ古墳まで、玄武が歩んだ長い道のりをさまざまな展示品で紹介します。

キトラ古墳壁画「玄武」特別公開
平成19年5月11日(金)から27日(日)  
午前9時から午後6時まで(入館は5時半まで)
*玄武公開期間中は特別料金

詳細は、飛鳥資料館サイトのトピックスへ。


もう、白虎の時みたいなバカ騒ぎにだけはなって欲しくないな。(-人-)
たくさんの方が見に来られるのは、良いのです♪
そして、そこから飛鳥を好きになるきっかけとなれるのなら。

一昔前のパンダのように、単なる見世物や人寄せだけに終わらせないで!
キトラの壁画たちは、人寄せパンダではないはず。
前回、飛鳥資料館前は、まるで飛鳥じゃなかった。
仕方ないです。1300年を越えた本物が見れるのですからね。
それは、充分に分かっています。
けど、煽りに乗せられたお祭り騒ぎだけはゴメンです。 
煽るだけのマスコミ報道もゴメンです。

この機会に、本当に飛鳥の魅力を感じられるような展示や報道や、
イベントにこそ力を入れるべきだと思う。

両槻会の第二回定例会は、この期間にあたります。
σ(^^)達は、力不足・役不足だけれど、それをやってみたいな。
個別の「物」も大事だけど、
その埋蔵文化財を懐に抱いた風土こそが貴重なんだって。
田んぼの下にこそ、面白いものが眠っているんですよってね。

第二回定例会は、ウォーキングイベント です♪
5月12日(土) 「埋もれた古代を訪ねて」 ご案内は、両槻会事務局員。
公園化された遺跡ではなく、下層に貴重な遺跡を抱いている田んぼや畑地をご紹介します。

飛鳥資料館には、両槻会のチラシも置かれているので、
この際に認知度がアップして、良き参加者が増えてくれるのを期待もしています。
第3回は、資料館での講演でもあるので♪


で、話は変わって♪

左サイドのリンクリストにも掲載していますBlog 「それから」で、
両槻会をご紹介くださっています。

ほかもさんのBlog 『 それから

丁寧にご紹介いただいて、感謝です♪  ほかもさん、ありがとうございます。m(_ _)m 
機会がありましたら、会にもご参加くださいね♪ 
お会い出来る時を心待ちにしています♪

両槻会ブログでも、記事掲載を紹介させていただきます。 m(_ _)m

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更新ですぅ♪

飛鳥写真館 梅の香漂う飛鳥の里  でっす♪
お時間のあります時にでも。m(_ _)m

増量許可審査に時間が掛かりそうなので、別に新しいアカウントを取りました。(^^ゞ
これで9個目のサイト誕生♪ (爆)
http://asuka.atukan.com/
↑ もうアカウントもヤケクソ! 飛鳥熱燗.com (笑)
表紙に行っても意味無いですけどね。(^^ゞ  お知らせでした。

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Google地図ペッタン♪



飛鳥庵所在地♪

上手く行ったようですね♪ 普通のグーグルマップみたいに動くのは優れものです♪
矢印の場所を細かく指定できるのも良い感じです♪
縮尺を小さくすると、飛鳥庵の建物も描かれていますので、
両槻会の方でも活用できそうです♪

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サイトの容量が、規定量を超えてしまったようで、更新が出来ません。m(_ _)m
迂闊にも、全く気付かなかったのです。だって、8つもサイト持ってるんだもん。(T.T)

ぅんで、只今増量申請中です。
審査があるとかで、少し時間がかかるかも。(x_x) 

すいません。m(_ _)m 

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最近では珍しく午前中に出発できた。
10時半に電車に乗る♪ 目指すは飛鳥駅。(^^)
栗原から棚田に出る予定だ。

070224e003s.jpg

栗原は梅の香りに満たされていた♪ (^^) 栗原寺跡辺りまで行ってみる。
墓地のところにもほぼ満開の梅の木があった。
そこから栗原の石仏を訪ね、朝風峠を登る。

果樹園を越えたところの梅の木も7分か8分といった咲き具合だった。
梅香漂う里山の道♪ 気持ち良く棚田に出た♪

070224e043s.jpg

昨日は、暖冬の中では寒い一日だったけど、峠登りで結構温まった。
棚田を見下ろしながら、おにぎりをパクつく♪
棚田のあちこちには、菜の花が植えられた田んぼが見える。
もう少しすると、また菜の花畑が春の色に染まるのだろう。
春色に満ちた棚田が一番好きだ。 また歩きに来なくちゃ。(^^)

案山子ロードには降りず、展望ロードを祝戸に向かう♪
この道沿いには、毎年撮っている梅木が何本かある。
新道の峠辺りには紅白の木がある。
祝戸に向かうと、菜の花畑♪ これも毎年同じように撮っている。

070224e072s.jpg

石舞台に下った。

ここからは、すぐに来たバスに乗り資料館に向かった。
村内でバスに乗ることなどほとんど無いのだけど、久しぶりの歩きなので、
資料館までの距離は、少し億劫だった。(^^ゞ

彩華さんが、ちょうど飛鳥資料館に入られたことを車中で知った。
ちょうど良い♪
特別展示室で、お会いすることが出来た。(^^)

展示を簡単に見て回って、両槻会のチラシを資料館の方に託す。
50枚程度用意しました。
たくさんの方がご覧下さって、参加してくださると良いのだけれど。

彩華さんと徒歩で飛鳥庵へ。
途中、マニアックな路地を案内する。(笑)
飛鳥寺を通り抜けて飛鳥庵に到着♪ おばちゃんは、またまた不調。(x_x)
いつものように声を掛けて自主開店。(^^ゞ

ももさん、太古さん、太郎さん、りょうさんもやってくる♪
いつもの賑やかな飛鳥庵になった♪
土筆の撮影会も楽しかった♪ 

070224e109s.jpg

4時半ごろ橿原神宮前に向かって歩き始める。
途中、豊浦寺でまたまた梅木の撮影会♪ 
ラッキーにも、ここでフキノトウを発見。(^^) 春の訪れを感じる写真を撮ることが出来た♪

070224e127s.jpg

彩華さんとは、駅近くでお別れ。
後の4人で、さわさんに寄った♪ (^^) 
歓談の内に、いつの間にかσ(^^)一人。(笑)
でも、10時ごろに帰宅した♪ 健全な土曜日は、こうして幕を下ろしたのでした♪

お終い。(^^)

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1451
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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