えっと、先日更新した「飛鳥写真館 梅の香漂う飛鳥の里」について、
ご指摘とご質問をいただきました。
豊浦寺跡向厳寺とσ(^^)書いてました。間違いです。m(_ _)m
広厳寺って書いたつもりでいたのですけど、確かめもせず書いていたようです。
m(_ _)mフカブカ。
で、豊浦寺跡の上にあるお寺は、現在、正式名称としては、
「太子山 向原寺」と書くのが正しいようです。
江戸時代に建立されたもので、浄土真宗のお寺さんですね。
お寺さんも、宗派が変わったりと、いろいろの経緯があるようでややこしいですね。(^^ゞ
で、広厳寺って名前も実は間違いではなくて、そう呼ばれていたこと、そう呼ぶこともあるようです。
「広厳寺は、向原寺の音から転じたものだろう」と、書かれている書物もあり、
向原寺の名前の後に、広厳寺と呼ばれていた時代があったことが分かります。
寛永3年(1626年)に、編纂されている「大和名所図会」って観光案内書みたいな本にも、「広厳寺」の名前で説明が書かれています。
『 豊浦村にあり。又向原寺に作る。又の名豊浦寺といふ。傍に井あり。桜井といふ。又の名榎葉井といふ。・・・・・蘇我稲目に仏をたまわりければ、小墾田の家に安置し、向原を寺となしけるが、終に守屋大連寺を焼きはらひ、仏を難波の堀江にしづめけり。向原寺は本朝寺院のはじめとかや。』
この本は、全面的に信頼できる資料になるようなものではないのですけどね。当時そのように思われていたということになるでしょうか。
鴨長明の『無名抄』 (1212年頃)には、「かつらぎや豊浦の寺の西にあるえのは井にこそ白玉しづく」と言う歌が取り上げられているそうで、「えのは井=桜井」が鎌倉時代には存在し、知られていたことが分かります。
で、豊浦寺ですけど、日本書紀のこのあたりの記述はややこしい書き方をしていて、よく分かりません。(^^ゞ
豊浦と小墾田の位置関係が実に不確かに書かれています。
欽明13年(552)に、まず蘇我稲目が、私邸の向原の家をもって寺として仏像を安置したました。 これは、守屋などのいわゆる廃仏派によって焼かれています。善光寺の話などはここから派生して行くわけです。
敏達10年(581)に再建され、桜井寺となり百済から帰朝した善信尼など三人の尼僧が住まいします。
この時期、建興寺ともいわれたそうですが、詳しくは知りません。
崇峻5年(592)11月、大臣の蘇我馬子によって崇峻天皇が暗殺された翌月、推古天皇は豊浦宮で即位したのですが、推古11年(603)豊浦宮地と桜井寺地とを交換し、旧宮(豊浦宮)跡に桜井寺を移し豊浦寺といい、寺地に移った宮を小墾田宮(小治田宮)と称したとされています。
さてさて、ここらがややこしい。
向原寺は、桜井って井戸があって、桜井寺とも呼ばれてたんとちゃうん?
向原のお寺の跡に宮を建てたんとちゃうん?
なら、向原と桜井は同じ場所ってことちゃうん?
桜井寺は、小墾田に在ったってことやんか、変ちゃうん?
向原寺=豊浦寺=豊浦宮=桜井寺=小墾田宮ってことになって、豊浦と小墾田が同じ場所になっちまう。
というわけで、頭がぐちゃぐちゃになってきます。(笑)
数次の発掘調査で、現向原寺下層から、豊浦寺の金堂・講堂跡と思われる礎石群や礫敷きなどが発見され、さらに一部の下層から石敷きや柱跡が見つかっています。これは豊浦宮の遺構の一部ではないかと言う見方が有力なようです。豊浦宮→豊浦寺は、間違いの無いところでしょう。
今のところは、小墾田宮は雷丘東方遺跡の周辺が有力になっていますが、そうすると上の記事の矛盾が益々大きくなるように思います。
なんとか、これを合理的に理解出来ないものかと思うのですけど、仮に小墾田を「大字」、豊浦(向原)を「小字」と考えれば良いのかな? なんて思ったりしています。
豊浦寺は、飛鳥寺の僧寺に対する尼寺として一対のお寺と考えられていたようです。藤原京遷都でも平城遷都でも豊浦寺は移る事は無く、飛鳥に残ったいたようです。
その後どうなったかはσ(^^)には定かではありません。
本宗家が滅亡してから、このお寺はどうなっていたのでしょうね? 飛鳥寺と同様に官寺に近い扱いだったのでしょうか? 壬申の乱での蘇我氏の壊滅後も生き残っていたようですし、持統朝では飛鳥五大寺の一つとされているので、そうであったのかもしれないですね。
というわけで、問い合わせのお返事として豊浦寺話でした。
さざなみの音に早く目が覚めてしまった産物です。(^^ゞ
ご指摘とご質問をいただきました。
豊浦寺跡向厳寺とσ(^^)書いてました。間違いです。m(_ _)m
広厳寺って書いたつもりでいたのですけど、確かめもせず書いていたようです。
m(_ _)mフカブカ。
で、豊浦寺跡の上にあるお寺は、現在、正式名称としては、
「太子山 向原寺」と書くのが正しいようです。
江戸時代に建立されたもので、浄土真宗のお寺さんですね。
お寺さんも、宗派が変わったりと、いろいろの経緯があるようでややこしいですね。(^^ゞ
で、広厳寺って名前も実は間違いではなくて、そう呼ばれていたこと、そう呼ぶこともあるようです。
「広厳寺は、向原寺の音から転じたものだろう」と、書かれている書物もあり、
向原寺の名前の後に、広厳寺と呼ばれていた時代があったことが分かります。
寛永3年(1626年)に、編纂されている「大和名所図会」って観光案内書みたいな本にも、「広厳寺」の名前で説明が書かれています。
『 豊浦村にあり。又向原寺に作る。又の名豊浦寺といふ。傍に井あり。桜井といふ。又の名榎葉井といふ。・・・・・蘇我稲目に仏をたまわりければ、小墾田の家に安置し、向原を寺となしけるが、終に守屋大連寺を焼きはらひ、仏を難波の堀江にしづめけり。向原寺は本朝寺院のはじめとかや。』
この本は、全面的に信頼できる資料になるようなものではないのですけどね。当時そのように思われていたということになるでしょうか。
鴨長明の『無名抄』 (1212年頃)には、「かつらぎや豊浦の寺の西にあるえのは井にこそ白玉しづく」と言う歌が取り上げられているそうで、「えのは井=桜井」が鎌倉時代には存在し、知られていたことが分かります。
で、豊浦寺ですけど、日本書紀のこのあたりの記述はややこしい書き方をしていて、よく分かりません。(^^ゞ
豊浦と小墾田の位置関係が実に不確かに書かれています。
欽明13年(552)に、まず蘇我稲目が、私邸の向原の家をもって寺として仏像を安置したました。 これは、守屋などのいわゆる廃仏派によって焼かれています。善光寺の話などはここから派生して行くわけです。
敏達10年(581)に再建され、桜井寺となり百済から帰朝した善信尼など三人の尼僧が住まいします。
この時期、建興寺ともいわれたそうですが、詳しくは知りません。
崇峻5年(592)11月、大臣の蘇我馬子によって崇峻天皇が暗殺された翌月、推古天皇は豊浦宮で即位したのですが、推古11年(603)豊浦宮地と桜井寺地とを交換し、旧宮(豊浦宮)跡に桜井寺を移し豊浦寺といい、寺地に移った宮を小墾田宮(小治田宮)と称したとされています。
さてさて、ここらがややこしい。
向原寺は、桜井って井戸があって、桜井寺とも呼ばれてたんとちゃうん?
向原のお寺の跡に宮を建てたんとちゃうん?
なら、向原と桜井は同じ場所ってことちゃうん?
桜井寺は、小墾田に在ったってことやんか、変ちゃうん?
向原寺=豊浦寺=豊浦宮=桜井寺=小墾田宮ってことになって、豊浦と小墾田が同じ場所になっちまう。
というわけで、頭がぐちゃぐちゃになってきます。(笑)
数次の発掘調査で、現向原寺下層から、豊浦寺の金堂・講堂跡と思われる礎石群や礫敷きなどが発見され、さらに一部の下層から石敷きや柱跡が見つかっています。これは豊浦宮の遺構の一部ではないかと言う見方が有力なようです。豊浦宮→豊浦寺は、間違いの無いところでしょう。
今のところは、小墾田宮は雷丘東方遺跡の周辺が有力になっていますが、そうすると上の記事の矛盾が益々大きくなるように思います。
なんとか、これを合理的に理解出来ないものかと思うのですけど、仮に小墾田を「大字」、豊浦(向原)を「小字」と考えれば良いのかな? なんて思ったりしています。
豊浦寺は、飛鳥寺の僧寺に対する尼寺として一対のお寺と考えられていたようです。藤原京遷都でも平城遷都でも豊浦寺は移る事は無く、飛鳥に残ったいたようです。
その後どうなったかはσ(^^)には定かではありません。
本宗家が滅亡してから、このお寺はどうなっていたのでしょうね? 飛鳥寺と同様に官寺に近い扱いだったのでしょうか? 壬申の乱での蘇我氏の壊滅後も生き残っていたようですし、持統朝では飛鳥五大寺の一つとされているので、そうであったのかもしれないですね。
というわけで、問い合わせのお返事として豊浦寺話でした。
さざなみの音に早く目が覚めてしまった産物です。(^^ゞ
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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