忍者ブログ








風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
コメントは「拍手する」をクリックしてお願いします。
[357]  [356]  [355]  [354]  [353]  [352]  [351]  [350]  [349]  [348]  [347
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

日本書紀 斉明2年(656年) の条

田身嶺に、冠らしむるに周れる垣を以ってす。 (田身は山の名なり。此をば大務と云う。) また、嶺の上の両つの槻の樹の辺りに、観を起つ。号けて両槻宮とす。亦は天宮と日ふ。

両槻宮造営に係わる日本書紀の記述はこれだけです。
これだけの文章から、両槻宮を探し出そうと言うのですから、
名探偵が束になっても解決できそうもありませんね。(^^ゞ

ここで一番問題になるのは、田身嶺が何処を指しているのかということです。
田身嶺が独立したピークを指しているのなら、現在の多武峰山頂(御破裂山)を表しているように思われます。しかし、多武峰は名前の通り、明日香村や桜井市など大和盆地にたくさんの尾根を伸ばしています。その山容の総称を田身嶺と表現していたとなると、両槻宮の候補地は、たくさんあるようにも思えてきます。

それらしい場所や伝承地を上げれば、次のようなところが考えられます。
  • 御破裂山頂
  • 念誦崛(ねずき = 根槻)
  • 藤本山
  • 酒船石遺跡
このうち、酒船石遺跡が両槻宮ではないかと、近年の最注目候補地になっているようです。
しかし、日本書紀の記述も「宮の東の山」と両槻宮とは、別の文章で書かれており、
酒船石遺跡と両槻宮は、別のものであると考えるのが自然なように思われます。
ゆっくり推理をめぐらして行きたいと思います。

さてさて、皆さんはどのように考えられるでしょうか。

sP1230309.jpg
最近、うどん屋さんのブログ化してます。。。(^^ゞ


お盆の風人
明日は、休養日♪  風鼓とのんびりすごします。 過ごせますよーに。(-人-)
夕方からは、ちと飲み会です♪ (^^v

拍手

PR
Comment
name 
title 
color 
mail 
URL
comment 
pass    Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
トップページリンク
飛鳥遊訪マガジン
メルマガ登録・解除
飛鳥遊訪マガジン
 
 powered by メルマガスタンドmelma! トップページへ


メルマガ登録・解除
 

飛鳥好きの貴方に贈る
メールマガジンです♪
プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
飛鳥三昧サイトグループ
 総合検索窓


飛鳥三昧風検索   



マイライフを見る


バーコード
解析
フリーエリア




Copyright (C) 真神原 風人 All Rights Reserved.
Material By 風人 / Template by 飛鳥三昧/

Powered by NinjaBlog/忍者ブログ [PR]