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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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昨日は、一日唸っていた。

決して体調の悪さだけではないです。(^^)
風鼓がぎっくり腰をやってしまって、自分の体調の悪さはまたまた棚上げ。(x_x)
お休みをいただいて、介護と若干の休養日となりました。

おかげさまで、風鼓は少ずつ動けるようになりました。ほっ♪
σ(^^)は、ぼちぼちです。

で、それは置いといて、一日σ(^^)が唸っていた原因は下の地図。
石神北方から雷東方にかけてを少しでも理解したかったし、
下の記事で言ってましたけど、誰かが作ってくれるのを待ってたら埒が明かないので、
自分で描いてみたのです。

いっぱい現説図面やネット公開されている図面と首っ引きでやっとここまで描けました。
石神15次以降の成果も描き入れたいのですけど、これがなかなか難しい。(>_<)
で、ここらで一服です。

この図を描いていて、何が分かったかと言うと、ちっとも分からんってことだけが分かりました。歴史って甘くない! っておっしゃってたあかねださんの記事がひしひしと。(笑)

ikiazuti6.gif

                クリックで拡大します。

天武期・藤原京期の山田道は分かりませんけど、
それ以前の山田道は、やっぱりもっと南に在ったんじゃないのかなって。
あるいは、石神遺跡の付近で南に直角に曲がっていたのかなって思ったりしました。

そう思わないと、飛鳥中期の遺跡である雷内畑遺跡が理解できませんでした。
この遺跡からは、苑池や石敷きの遺構が検出されていて、小墾田宮の一部を構成するのではないかとされています。やはり、この辺に小墾田宮があったとすると、天武朝以前の山田道がこの切通を抜けている確率は低いと思うのです。飛鳥川の流れが現在の流路になった時に、山田道も付け替えられたのかも知れないですね。

それは、飛鳥人のこの湿潤な土地との戦いの系譜なのかも知れないと思ったりしました。そんな妄想で一日遊ばせてもらいました♪ 
分からないってことを、もっと楽しみたいなって思います♪

無断で掲載の図をパクらないでくださいね! 無断転載不可!

ももさんの「ももの葉っぱ」>
飛鳥藤原第145次(石神遺跡第19次) 07.3.31.現説」にトラバしました。

で、週末風人♪

土曜日、橘寺へ両槻会の用で行きます。 予定はそれだけ。
出来たら飛鳥の桜を見て回りたいけど、ここは体調次第です。
3時過ぎには飛鳥庵かな?

日曜日、休養。  桜の時期に残念だけど、ここは身のため諦めます。(x_x)


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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1449
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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