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説明会自体には参加できなかったので、不明な点を残したままになりました。(^^ゞ
まっ、それは追々勉強するとして、今回見た感想と言う程度で書き残しておこうと思います。

はっきり言って、今回の遺構は分かりにくかったです。
ごちゃごちゃってしてる印象で、頭の中の整理が出来なかった。(^^ゞ

午前中に行った時に撮った写真だけど、この山田道と雷丘の位置関係がどうもピンと来なかった。 

070331w067s.jpg

道路と雷の切通がずれている。写真を写している所は道路の中央ではないから、
実際にはもっと北側のはず。そうすると、雷の丘の城山の中心に近くなるわけで、山田道をなぜ北側に迂回させずに、切通をわざわざ開削したのかが、気持ち良く納得出来ないのです。工事としては、絶対その方が楽なはず。何か特別な理由があるのかな? 最近出来た県道は、新たに北側を回りこませている。

と言うことは、
  • 北側に避けなければならない建築物が在った?
  • 切通はもっと以前からあり、狭い道路が通っていて、拡幅するだけで簡単に広い道路を作れた?
  • 雷に切通を作った時の山田道は、発見されなかったけど今回よりも南にあった。
  • ここを通す理由があった?
  • 小墾田宮が東方遺跡とかこの辺にあったとすると、宮とかの建物は、南に開いているはずだから山田道は使いにくくないのか?  山田道から宮の南に入る道が必要なはず。
  • すぐ近くに氾濫川として知られている飛鳥川が流れていたわけで、東には、今回のような沼沢地が広がっている。 雷東方遺跡付近は、使いにくい土地だったんじゃないのか?
小墾田宮って、ページにもしているけど、やっぱり山田道の北側に在ったんじゃないのかな?
そんな気がして仕方が無い。

今回の遺跡の土地利用を示す全5期の様子を見ていても、道路の北側を使いやすくするための排水工事の側面もあるんじゃないのかって思ったりしました。西を流れる飛鳥川に南や東側を流れる水を落とすためのようにも見えた。もちろん今回出ていた溝は、天武期から藤原京期のものだけど。3期の東西溝2なんてのがこれに当たるのかな?

宮のすぐ裏側を通る幹線道路ってのが、σ(^^)には上手くイメージ出来ない!


070331w053s.jpg 説明を聞けていれば分かったのかも知れないのですけど、パンフレットには載っていなかった杭列がありました。

遺構の北西隅に近いところです。道路遺構の下を調査されていて、その北端の辺りでした。

図面にも載っていなくて、質問するのも忘れてしまったので、今更気がかりになってきました。(^^ゞ

Ⅰ期の杭列の関連なんでしょうかね?
堰状施設ってのも良く分かりませんでした。堰って分水したり、流路を変えるときに使いますよね。 隣にある斜行溝と関係するんでしょうけど・・・・・。 これも図面にないんですね。どのように他の遺構と関連するんでしょうか。
18次調査の杭列とかももう一度、資料を繰ってみないと分からんです。(^^ゞ

070331w073s.jpg
前回の調査から引き続いていると言うと、このⅤ期にあたる礫集中部というのもどういうものなのか、分かったようで分からない存在です。

土地を補強するために入れているのでしょうけど、それは上に建物を建てるためじゃなかったら、どんな意味があるのだろう?

建物は検出されていないのですよね。。。
何のための石なのだろう?

発掘したからって、全部が分かるわけじゃないんだろうけど、もっといろんなことが分かると良いな。(^^)
なんか全体を上手く把握できませんでした。(>_<)
誰か上手にこの辺の再現図とかジオラマ作ってくれないかな~。。。(^^ゞ
やっぱ現説聞きたかったな~。。。。


で、竹田遺跡。
毎度書いているので、読んでくれる人も書いている方も嫌なんですけど。m(_ _)m
資料に間違いがあります。重箱の隅ですけど、どうも気になるんですよね。
「竹田遺跡は飛鳥寺の北面大垣から東に約20mの距離」にはありません。
こちらは、前回も飛鳥寺からの距離を間違えて書いてはりました。
発掘調査報告会の資料もでした。
知ってる人間や見学会に参加した人は感覚的に距離が分かりますけど、
知らないで資料だけ見たらねって気がします。 
毎回なので、あぁ~あっって思ってしまいました。資料の信憑性が下るんですよね。(^^ゞ
すいません!  間違いばかり書いてるσ(^^)です。m(_ _)m  
きっと嫌な奴に思えるだろうな・・・σ(^^)。 

約200mです。 単純なミスですよね。 

070331w128s.jpg

黄色くマーキングされた柱穴が、飛鳥時代後期の物だそうです。
調査区の端っこで掛かったので、建物の全体像は確定出来ないみたいですけど、
そんなに大きな建物ではないようですね。 一棟は、塀かも知れないということです。
赤のマーキングがされた柱穴は、それ以降の平安から中世にかけてのもののようです。

大型の建物跡が見つかるのを期待していたんですけど、今回は期待はずれでした。
けど、建物遺構が続いているわけですから、主要な建物がきっと近くにあるんでしょうね。
この丘陵のピークに近いところじゃないのかな?って思うのですけど、
いずれの楽しみとしましょう♪


講演会後の慌ただしい見学となり、定例会を無事に終えた気の緩みで、
しっかり遺構を見なかったのが残念です。もうちょっとちゃんと勉強しようね!σ(^^)


早朝書いた記事を、移動中とかを利用して携帯チェック後に投稿しています。
変な時間に投稿しますけど、決して遊んでいるわけではないです。
こうしないと、記事を書く時間を見出せないのです。(>_<)  念のために。

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プロフィール
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真神原連風人
年齢:
1450
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性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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