2月14日 10:30~15:30 随時説明ってことで行われるようです。
昨日夕から、ニュースが出始めたのですが、σ(^^)が思っていたような成果だったようです。こぶし大の敷き石(σ(^^)はもう少し小さいと思ったのですが)の広場が出ていましたので、面白くなりそうだと思っていました♪
写真はクリックすると大きくなります。
調査区の中に入って撮ったものではありません。決められた外側から調査員さんの許可をいただいて撮ったものです。
敷かれた板は、現説用の通路になるんでしょうね。
で、新聞報道は、どちらでもコピペ状態で載っていると思うので、それは置いといて、
検出されたのは、飛鳥時代後半の掘立柱建物、別の掘立柱建物?(東西溝の北側に在る柱穴列でしょうか?)、雨落ち溝、砂利敷き広場(橿考研の発表では砂利になってました。砂利とこぶし大ではかなり違うぞ!)、東西石組み溝、など。
注目されるのは、飛鳥時代後半の掘立柱建物で、東西15m以上、南北7m以上あるらしい。
南北は、全容が検出されていないので、建物の大きさは確認されたわけではないみたいですね。切妻建物というのも推測されたもののようです。南側の雨落ち溝からの判断でしょうね。建物の南に幅約1・8mの庇があったと思われ、雨落ち溝(幅約45cm)があり、さらに南側から幅約15mの石敷き広場と続いているようです。
東西石組み溝は、前回の東直線上で検出されているようでした。で、この溝は先の掘立柱建物にぶつかってしまうので、南北どちらかに曲がっていたように思われます。(って、北でしょうというか、南北溝とT字に交わっていたのかなと=奈文研の調査区で検出された溝に続く?)
休日に作業をされているところを、お断りして撮らせて頂きました。公表も控えていました。こちらも現場の外からの写真です。
立派な東西石組み溝です。前回検出された東西溝と良く似た感じを受けます。今回のもう少し西側で、南北溝と合流するようでした。
こちらが前回。↓
で、この溝が飛鳥浄御原宮の外郭北限だと推定されたわけです。これより北側に、顕著な遺構が検出されなかったことによるようです。
塀も出てなかったんですよね。今回もですが、北限施設なら塀が出るんじゃないかと思うわけです。
さて、今回の面白いところは、警備施設か?なんて推測もされる掘立柱建物の性格や規模と、飛鳥浄御原宮の北限は何処まで伸びていたのでしょうって事なんだと思うんですね。
外郭の東から北に掛けては、官衙的な建物群が取り囲んでいるという指摘は、以前からもありました。相原先生などが、復元案を発表してらっしゃったように・・・。(論文読みましたが忘れました。m(__)m)
外郭の東に沿う道路に近接して、官衙が在ったのだろうとは思っています。今回の掘立柱建物も、その道路が飛鳥寺瓦窯の在った丘の裾で曲がった辺りになるので、道路沿いってことにもなります。建物自体は少し西に外れますが。先日奈文研が検出した道路遺構の南側に繋がる位置になるので、建物も宮内というだけではなく、道路も意識しているのではないかと思ったりなんぞします。砂利敷きだとすると、宮内の施設だろうとは思うのですがね。警備施設としたら、お白州だったりして!(笑)
今回新聞には、石神遺跡までを含めて宮域だったとする意見も出ていましたが、それは違うんじゃないかなと・・。
官衙は官衙で、藤原京でも宮の外にも役所があったわけで、役所が在るからと宮域だというのもなんだかな~って思うのです。
律令制度が整うにしたがって、煩雑な事務処理が増えてきて、役所の大型化や増設は避けられないことだと思うので、暫時、宮や官衙の造作・改築が繰り返されたとは思うのですがね。
やはり、この溝付近に宮の北限は在ったのではないかと思いたいですね。飛鳥寺を取り込むってことは無いんじゃないかと・・・。宮は宮、お寺はお寺、官衙群は官衙群で良いんじゃないかな。
甘樫丘から、調査区の全景を撮ってみました。シートに覆われた盛土の辺りが東西溝です。民家の右手が掘立柱建物が検出された場所になります。
先日行われた、奈文研の調査区と合わせて、飛鳥寺の南・飛鳥浄御原宮の北の辺りの解明がもう少し進めば面白いのだけどと思います。
あっ!槻の木の広場かと思われる明日香村教委の調査区では、特別な物は検出されなかったようで、すでに埋め戻されていました。残念。まっ、何もでないだろうなとは思っていたのですけどね。槻の木の根っこでも出れば面白かったのに。(^^ゞ
石神遺跡第21次も、12日に報道発表があるようです。心して掛からねば、把握出来ずに過ぎ去ってしまいそうだ!
14日は、一日飛鳥だな。(笑)
昨日夕から、ニュースが出始めたのですが、σ(^^)が思っていたような成果だったようです。こぶし大の敷き石(σ(^^)はもう少し小さいと思ったのですが)の広場が出ていましたので、面白くなりそうだと思っていました♪
写真はクリックすると大きくなります。
調査区の中に入って撮ったものではありません。決められた外側から調査員さんの許可をいただいて撮ったものです。
敷かれた板は、現説用の通路になるんでしょうね。
で、新聞報道は、どちらでもコピペ状態で載っていると思うので、それは置いといて、
検出されたのは、飛鳥時代後半の掘立柱建物、別の掘立柱建物?(東西溝の北側に在る柱穴列でしょうか?)、雨落ち溝、砂利敷き広場(橿考研の発表では砂利になってました。砂利とこぶし大ではかなり違うぞ!)、東西石組み溝、など。
注目されるのは、飛鳥時代後半の掘立柱建物で、東西15m以上、南北7m以上あるらしい。
南北は、全容が検出されていないので、建物の大きさは確認されたわけではないみたいですね。切妻建物というのも推測されたもののようです。南側の雨落ち溝からの判断でしょうね。建物の南に幅約1・8mの庇があったと思われ、雨落ち溝(幅約45cm)があり、さらに南側から幅約15mの石敷き広場と続いているようです。
東西石組み溝は、前回の東直線上で検出されているようでした。で、この溝は先の掘立柱建物にぶつかってしまうので、南北どちらかに曲がっていたように思われます。(って、北でしょうというか、南北溝とT字に交わっていたのかなと=奈文研の調査区で検出された溝に続く?)
立派な東西石組み溝です。前回検出された東西溝と良く似た感じを受けます。今回のもう少し西側で、南北溝と合流するようでした。
こちらが前回。↓
で、この溝が飛鳥浄御原宮の外郭北限だと推定されたわけです。これより北側に、顕著な遺構が検出されなかったことによるようです。
塀も出てなかったんですよね。今回もですが、北限施設なら塀が出るんじゃないかと思うわけです。
さて、今回の面白いところは、警備施設か?なんて推測もされる掘立柱建物の性格や規模と、飛鳥浄御原宮の北限は何処まで伸びていたのでしょうって事なんだと思うんですね。
外郭の東から北に掛けては、官衙的な建物群が取り囲んでいるという指摘は、以前からもありました。相原先生などが、復元案を発表してらっしゃったように・・・。(論文読みましたが忘れました。m(__)m)
外郭の東に沿う道路に近接して、官衙が在ったのだろうとは思っています。今回の掘立柱建物も、その道路が飛鳥寺瓦窯の在った丘の裾で曲がった辺りになるので、道路沿いってことにもなります。建物自体は少し西に外れますが。先日奈文研が検出した道路遺構の南側に繋がる位置になるので、建物も宮内というだけではなく、道路も意識しているのではないかと思ったりなんぞします。砂利敷きだとすると、宮内の施設だろうとは思うのですがね。警備施設としたら、お白州だったりして!(笑)
今回新聞には、石神遺跡までを含めて宮域だったとする意見も出ていましたが、それは違うんじゃないかなと・・。
官衙は官衙で、藤原京でも宮の外にも役所があったわけで、役所が在るからと宮域だというのもなんだかな~って思うのです。
律令制度が整うにしたがって、煩雑な事務処理が増えてきて、役所の大型化や増設は避けられないことだと思うので、暫時、宮や官衙の造作・改築が繰り返されたとは思うのですがね。
やはり、この溝付近に宮の北限は在ったのではないかと思いたいですね。飛鳥寺を取り込むってことは無いんじゃないかと・・・。宮は宮、お寺はお寺、官衙群は官衙群で良いんじゃないかな。
甘樫丘から、調査区の全景を撮ってみました。シートに覆われた盛土の辺りが東西溝です。民家の右手が掘立柱建物が検出された場所になります。
先日行われた、奈文研の調査区と合わせて、飛鳥寺の南・飛鳥浄御原宮の北の辺りの解明がもう少し進めば面白いのだけどと思います。
あっ!槻の木の広場かと思われる明日香村教委の調査区では、特別な物は検出されなかったようで、すでに埋め戻されていました。残念。まっ、何もでないだろうなとは思っていたのですけどね。槻の木の根っこでも出れば面白かったのに。(^^ゞ
石神遺跡第21次も、12日に報道発表があるようです。心して掛からねば、把握出来ずに過ぎ去ってしまいそうだ!
14日は、一日飛鳥だな。(笑)
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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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