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やっと、分かる記事が出てきた。(12:30)
「短期間に3回建て替えられた」 奈良新聞
そうでしょう! そうでないと変ですよね。 「数十年間に」なんて必要ない文字ですよ。

南北方向の素掘溝(雨落溝)は、東側に突出部を持っており、この部分が階段と想定されるとのこと。門という推測もこれが根拠の一つとなっているようです。

東側の塀に沿って、幅17m程の道路が南北に走っており、遺跡の北側にあった(斉明朝)山田道から飛鳥中心部へ通じるルートと考えられるとのこと。

やっと分かってきた。(^^ゞ 次に進もう。
なぜ東門を立派に見せようとしたのだろうか。 東が玄関口だったのかな。
石神遺跡の遺構図を見ていると、石敷きの広場を持つ建物群(饗宴施設とされている)は、南の方に在る。須弥山石が出土した地点は、南端だったはず。入ってすぐに庭ってのも変だなと思うのだけど、どんなもんでしょう? 前庭ってありますよね。(^^ゞ 

石神に在った迎賓館の正門は、何処に在ったのでしょうね。この東門でしょうか。
南北の道路が山田道と飛鳥の中心を結ぶとのコメントがあったけど、この道を南に真直ぐ行っても、飛鳥の中心部にはダイレクトには行けないですよね。(^^ゞ でもないか! 丁度西大垣の西側ぐらいになるかな? 飛鳥寺の西門の前に出ますね♪
石神遺跡の建物配置からすると、遺跡の西側って付属の建物が多いような感じで、迎賓館としては裏方の建物ですよね。それに西側は段差がある。そっちに正門は無いだろうと思うのです。
だとしたら、この門が正門ってことになるのかな? 少し北に寄ってるようにも思えるが。主要建物に、北から入って行くことになるんじゃないかと、そこは気になる点ですね。

石神遺跡の調査は、この21次までとか。全成果をまとめていただいて、読んでみたいな。

下図は、石神遺跡第21次調査区の前に掲示されている案内板の遺跡配置図。

sP1090441.jpg



どうも分からん!
  • 7世紀前半から中頃の掘立柱建物 (南北5.4m×東西8.1m)
  • 掘立柱塀 (南北約25m)
  • 溝 (長さ約16m、幅1.5m、深さ20cm・大量の瓦が埋まっていた)
  •  
  • 塀の東側が道路と考えられるので、建物は門である。
  • 門は、何度も建替えられており、一緒に出土した土器から、7世紀前半から中頃と考えられる。


読売新聞
「7世紀前半の南北に約25メートル延びる塀跡と東西約6メートル、南北10・5メートル以上の建物跡が出土。7世紀中頃の瓦が大量に埋まった長さ約16 メートルの溝跡などが見つかった。建物を造り替える時に瓦ぶきにしたらしい。」 

これでも、斉明天皇の迎賓館と言われる石神遺跡の時期よりも早い時期に塀があったように受け取れるんだよね。(^^ゞ で、その塀は、何を囲っていたの? 石神遺跡の迎賓館的施設って、いつ出来たの? 7世紀前半っていうとどの天皇なんでしょう? 皇極なんていうと中頃ですよね。推古・舒明ってことになるんでしょうか・・。

『数十年間に3回建て替えられ、最後(最盛)の時期には、屋根の一部に瓦を葺いていた。』
この文章↑、どう考えても変!
斉明天皇の時代に瓦葺になったと書いているから、石神遺跡は斉明天皇から数十年前にあったことになる。変ちゃうん! 19次調査だったかに、推古天皇の時代の遺構が出たことはあったように思うのだけど・・・。

この文章構成が、そもそも拙いんじゃないのかな? 記者発表資料を見たいぞ!

「7世紀前半から中頃にかけて建てられたと思われる掘立柱建物が検出された。厳密な建設時期は特定出来ず、数十年の幅を持つとしか言えない。建物は3回建て替えられており、最終段階で屋根の一部に瓦を葺いた可能性がある。それは遺構時期の上限である斉明天皇の時代だと思われる。」
こういうことなら分かるんだよね。正しいかどうかは別にしてだけど。(^^ゞ 

「数十年間に3回建て替えられ」だと、スタートが数十年前になってしまうんじゃないかな? どうも、ここに引っかかってしまう。 σ(^^)だけなんだろうか?

「軒に使う瓦は見つかっておらず、屋根の頂上部だけに瓦を使ったとみられる。」
ってことで、読売新聞は書いてます。
棟門みたいな感じなのかな?熨斗瓦だけを乗っけたような。。。(^^ゞ 
小さな鄙びたお寺にあったりしますよね。(^^ゞ 立派に見えたんだろうか・・。ぼそぼそ!(笑)

建物の規模が、メートルで表現されているけど、何間だったのだろう。
柱穴の径は?
塀は建物の中心から延びているんだろうか。
略図で良いから、遺構図載せて欲しい。
どうもすっきりしない! なんやねん!
行ってみないと分からんか。(笑)


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真神原連風人
年齢:
1450
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性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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