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甘樫丘東麓遺跡発掘調査の成果が報道され始めました♪

気になる蘇我入鹿邸(谷の宮門)である可能性は、ますます高くなるようですが、
なお中心建物は出土していない模様です。

今回は、石垣や掘立て柱建物跡や塀跡が検出されたようです。 
7世紀前半(近くの泥土から640年代の土器が出土)に大規模な石垣を築いて,
敷地を整えたと思われます。
より要塞的な建物であったのかも知れませんし、
基礎をしっかりさせる必要のある倉庫や兵庫なども考えられるかも知れません。
また、建物をより立派に見せる手段であったのかも知れません。

石垣は、南北15メートルにわたり、
最大50センチの花崗岩を6~7段に積み重ねているようです。
高さは最高1メートル。1段積むごとに土を埋めた丁寧な造りだということです。
谷筋のほぼ中央に石垣が築かれ、その東側が敷地として一段高く造成されていた模様です。 

検出された主な掘っ立柱建物跡は、縦8メートル・横3.8メートル程度の規模のようですが、全体で、2期に分けられる建物跡が、7棟分新たに見つかったようです。

1期は600~650年代で、河原石を積んだ石垣とその東側を埋め立てて平らにした整地跡で、建物跡1棟と塀が含まれるようです。

2期は、石垣を埋め、改めて整地されたとみられ、640~680年代。
中小規模の建物が数回建て直された6棟分と石敷き跡がその時期になるようです。

日本書紀の記述などと比べると、
石垣が入鹿の邸宅の関連施設、建物跡は乙巳の変後の中大兄皇子らが関係しているのかも知れません。


まだ、詳細は分かりません。 続報を待ちたいと思います♪

発掘現地説明会は、11日午後1時から4時まで。

この日には、もう一つあるかも知れません♪ (^^)

aaf4215a.jpeg
            06年12月23日撮影

橿考研サイトで、先日の東中谷遺跡の現説資料が公開されています。
行かれなかった人、また資料入手できなかった人はどうぞ。
東中谷遺跡現地説明会資料


橘寺・節分情報

星祭、午前10時から夕方まで、国家安泰・五穀豊穣・無病息災・厄除けを祈願し、
護摩をたく。ぜんざいの接待、福引券付き福豆の配布がある(無料)。
当日は入山料無料。

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プロフィール
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真神原連風人
年齢:
1450
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性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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