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風の書 / 日記と雑記 両槻会情報 飛鳥情報
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いつもお世話になっている、飛鳥庵の掃除と前の駐輪場の草むしりをしようと思います。
4月12日(土)です。
飛鳥庵のお馴染みさんの中で、予定が空いる方は、ご協力よろしくお願いします。

皆でやればあっという間に出来るでしょう♪ 各自散策の終了時に飛鳥庵に集まりましょう。
午後3時飛鳥庵集合。雑巾など持って来れる方はよろしくお願いします。

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近江俊秀先生の著書を読み始めました♪

『 道路誕生-考古学からみた道づくり- 』 青木書店 2800円+税

近江先生は、奈良県立橿原考古学研究所主任研究員でいらっしゃいます。
両槻会のメールマガジン『飛鳥遊訪マガジン』に寄稿をしていただいている先生です。

sP1030215.jpg
メルマガの連載が始まるのと同時に、この本が出版されました♪

σ(^^)は、サイト立ち上げの頃から古道をテーマにしたコンテンツを作って来ました。
「飛鳥へ続く道」というコンテンツタイトルです。
古道歩きを軸にして、その古道にまつわる話やその道を通った人々や物への想いを綴ってきました。
飛鳥三昧のメインテーマの一つです。

このご本は、そんなσ(^^)にぴったりの本でした♪ 近江先生の「古道は面白いよ」って語りかけが聞こえてきます。先生は、考古学者ですから、考古学の手法を使った古道研究成果も知ることが出来ます。
σ(^^)もまだ完読していませんが、非常に面白く、わくわくさせていただいています。

序章 道路と考古学
第Ⅰ部 道路とは何か
第Ⅱ部 「より近く、より早く」
第Ⅲ部 全国をつなぐ道路網
終章  古代の道路と現在の道路

特にσ(^^)が興味を引きましたのは、
第Ⅰ部では、古墳時代の道路である鴨神遺跡の道路遺構のお話でした。
葛城古道は何度も行っていますので、その地の情景を思い浮かべることが出来ます。
風の森峠近くに在るこの古道は、様々な工夫を盛り込んだ道でした。
著書では、豊富な掲載写真と共に、非常に分かりやすく解説されています。

第Ⅱ部は、σ(^^)の興味の対象そのものでした♪
上・中・下の南北三道と横大路、そして太子道と呼ばれるスジカイ道へとお話は進みます。
メルマガで連載していただいている「阿倍山田道」もこの第Ⅱ部に含まれます。
ですから、第Ⅱ部は、全部がとても興味深かったです。
豊富な図や写真が、理解をとても助けてくれました。また、先生が実際にその道に立たれ、歩かれたのを実感として読み取ることが出来ました。

第Ⅲ部は、これからです。

そのほかに、章立ての間に入るコラムが三つあり、とても面白いのです♪
1:二つの紀道 葛上斜行道路と巨勢路
2:推古天皇の大道は竹内峠を越えていたのか?
3:最近の大和の古代道路事情。

朝から、一気に第Ⅱ部まで読んでしまいました。
平易な言葉で語っておられるので、とても読みやすく、好奇心をいっぱい満たしてくれます。

読ませていただいて、また古道を歩きたくなりました。
特に紀路を歩いてみたい。

皆さんも、是非お読みください。 
風の書をご覧くださいます皆さんには、本当に面白い本だと思います。

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甘樫丘東麓遺跡見学会に参加してきました♪
報道で得た知識とは、かなりの差がありました。
やっぱり現地を見なくてはね。σ(^^)、全然違うことを思っていました。
ダメですね。(>_<)

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甘樫丘東麓遺跡北東側半分 西側遊歩道より クリックで拡大表示します。

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甘樫丘東麓遺跡南西側半分 西側遊歩道より クリックで拡大表示します。
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甘樫丘東麓遺跡会場設置現地説明用図面  クリックで拡大表示します。

今回、注目された蘇我氏の邸宅の一部ではないかと思われる建物は、遺構平面図に赤色で示された建物などです。大規模な整地の後に、七世紀前半に建造され、七世紀中頃に廃絶したと考えられるようです。それは、土坑1から出土した土器の年代区分により確定したそうです。七世紀中頃の土器を含んでいるようです。

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クリックで拡大表示します。
建物1と3は、同面積であることなどから、同一の基準によって建てられた総柱建物であると推定されます。倉庫であると思われているのですが、収納する物によって柱数が違うのでしょうか?
また、建物の方位が気になりました。質問したところ、よく分からないが地形の制約を受けている可能性もあるだろうとの説明をいただきました。

建物2は、5×2間の掘立柱建物で、東側の溝には焼土や炭が検出されたようです。土坑2からは、七世紀中頃の土器が出土しました。倉庫の管理棟である可能性をお話されていました。

これらの建物が、蘇我氏邸の可能性がある遺構ということになります。
これらが廃絶された後に、二つに時期に区分出来る建物や塀が、七世紀末まで存続したようです。

sP1030082.jpg
クリックで拡大表示します。
遺構の真ん中辺りに、石の集積しているところがありました。堀残されている状況から見て、比較的新しい時代の物なのかと思えたのですが、部分的な石敷きかも知れないとも思い、これもお尋ねしたところ、分からないが整地層の補強とも思えるが、全体に検出されてはいない。よく分からないとのお返事でした。

マニアックな質問に丁寧に答えていただいた先生方に、深く感謝申し上げます。m(__)m
ありがとうございました。m(__)m

今後も継続した調査が行われるとのこと、蘇我氏の邸宅との確証を得られる日も近いのかも知れません。楽しみに待ちたいと思います。


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バテバテです。(*_*) そりゃこんだけ頑張ったらね・・。

で、土曜日
甘樫丘東麓遺跡見学会と藤原宮地鎮具富本銭見学♪

でで、日曜日
桜めぐり♪

体力持つ限り。(^^ゞ

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昨日の飛鳥遊訪マガジンは早かったでしょ。(笑)
決して、先行情報を持っていたわけではないのです。
ただ、ニュースの出るタイミングを予測していただけ。(^^ゞ
で、他の記事を作って、速報版を出せるように準備していたのでした。
だから、ほとんどのネットニュースより早かったのです♪

けど、少々反省もあります。m(__)m
早さを競っているわけではないのに、情報不足のままで書いたこと。慎重に書いたつもりだけどタイピングが走りすぎたところも・・・・。(^^ゞ 某新聞のように「蘇我入鹿邸、甘樫丘を要塞に」 って、こんなことは書かなかったけどね。(笑)

倉庫と思われたのは、総柱建物であったから。 重いものや物資を集積するのだから、頑丈な建物でなければならないと思うので。ここまでの推測は可能なんだろうと思うのです。
でも、武器庫である可能性は、推測ちゅうか憶測ちゅうかでしかない。そうであれば、書紀の記事を上手く引用できるわけです。けど、入鹿邸には武器庫以外にも倉庫は在って不思議は無い。武器が付近から大量に出土していないのだから、武器庫とは断定出来ないですよね。

で、塀。
検出された塀は、どこをどういう風に限っていた塀なのでしょう?
倉庫を取り囲むようにって書いた記事もあったのですけど、σ(^^)が撮った写真で見る限り、遺構ではまっすぐの塀だと思ったのです。単に区切りの塀なのかも知れないと思うのですが。要塞としての防御のための塀ってのは、やはり言い過ぎではないのか?

でで、今回土器が結構出ているとのこと。
倉庫と思われる建物の西側の穴から出土したそうだ。
飛鳥時代の土器は、かなり時期を特定できるようになっている。σ(^^)ですら若干の特徴はつかめるのだから、当然なのかもしれないが、精度の高い時期区分が出来ると聞く。
それで、今回の出土土器は、650年代とほぼ断定された。で、土器の埋まった穴は、倉庫跡より後に掘られていたので、倉庫は、その前の時代に在ったことになる。つまりは、乙巳の変以前の可能性が高いと言うことなんだと思う。そういうことを踏まえて、場所柄から蘇我氏の邸宅跡である可能性が高くなったのだと思う。

ニュースが出始めた時の熱が少し収まってから書いても良かったかな。(^^ゞ
でもね、どうしてもサービス精神が出てしまうんですね。(笑)
少し反省もしながら、報道に目を通している風人でした。まる!

あっ、σ(^^)、見学会に行きます。
富本銭も見たいので、奈文研にも寄ります。
一緒に行こうかなって方は、耳成駅10時24分着の電車で。
南出口階段上にいます。



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20時頃に、飛鳥遊訪マガジン速報版が出ます♪
ネットニュースを超える速さの記事があります♪ (∩.∩)
頑張りましたよ♪

って、まだ仕事中ですが。(^^ゞ


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なんか疲れますわ!

外部から電話が掛かってきた。
パソコンを操作しながら、他の電話に出ていたσ(^^)。
「電話とってくれないか。」

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プロフィール
HN:
真神原連風人
年齢:
1450
HP:
性別:
男性
誕生日:
0574/04/20
職業:
飛鳥応援大使 
趣味:
飛鳥人
自己紹介:
同年の厩戸皇子様が制定された冠位十二階より、大信の位階をいただいております。
別名、風使部とも呼ばれております。
仕事は、飛鳥をアピールすることだそうなので、風の便りを発して頑張りますぅ。
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